中央調査報

トップページ  >  中央調査報  >  日本社会における中間集団の揺らぎ
■「中央調査報(No.626)」より

 ■ 日本社会における中間集団の揺らぎ

大妻女子大学人間関係学部 専任講師 石田光規

 家族や企業といった中間集団の揺らぎが指摘されるようになったのは、ごく最近のことである。こうした議論には、中間集団の揺らぎを拘束からの解き放ちと捉え、個々人の自己実現や個性の発揮と結びつける「解放」の言説と、中間集団の揺らぎを人びとが支えられてきたサポート源の喪失と結びつける「剥奪」の言説が存在する。以下では、これまで公表されているさまざまな調査の結果から、日本において中間集団の揺らぎがどのように受け止められてきたのか家族、企業に焦点を絞って議論していきたい。

1.家族関係の変化
 家族関係において解放の言説が表すのは、夫である男性、妻である女性とその間に生まれた子どもによって形成される標準的な家族形態からの解放である。それらは事実婚、婚外子、DINKSといったさまざまな家族スタイルの容認に結びつく。しかし、実際の調査結果を見るとまだそうした傾向は見られない。日本では、夫婦別姓はいまだならず、婚外子もまだまだ少なく2%ていどである(図1)1。確かに未婚者の数は増えているが、若年独身男女で「結婚意向なし」という人は1割未満(男性8.7%、女性8.0%)と結婚願望は相変わらず高い2。そのような事実に鑑みると、未婚件数の増加は、中間集団の揺らぎに伴い自らの意思により結婚しない選択を行うようになった「解放」の結果というよりも、中間集団が揺らいだことによる「剥奪」の結果と考えられる3

図1

 同様のことは単身世帯の増加についても言える。近年、日本では単身世帯が増加傾向にある。これは世帯から解放された人びとの自己選択の結果といいうるだろうか。答えは否である。先の結婚に対する強い願望に老後に関する願望を併せて考えると、単身世帯の増加も中間集団の揺らぎによる剥奪の結果と考えられる。
 内閣府が平成21年に実施した「国民生活に関する世論調査」によれば、「一般的に,老後は誰とどのように暮らすのがよいと思うか」という質問に対して、「子どもたちとは別に暮らす」と答えた人の割合は34.5%にとどまる。それ以外の人びとはいずれも子どもとの同居や近居を希望している。また、この34.5%の人びとも友人や兄弟・姉妹との同居、施設への入所を希望しているかもしれないので、単身世帯を望む人の割合は極めて低いと考えられる。未婚者、高齢者が単身世帯の多くを占める中で、前者の多くは結婚を望み、後者の多くは誰かと住むことを望んでいる。以上の事実から、単身世帯の増加も中間集団の揺らぎによる剥奪の結果と考えられる。こうした事実と軌を一にするかのように、家族のつながりの弱体化を示すデータは枚挙にいとまがない4

 しかし、そうした傾向を否定するかのように、近年、家族に対する期待は高まりを見せている。「あなたにとって一番大切なもの」という質問に対して「家族」と回答する人は年々増加している(図2)。「親子の対話があり互いに信頼していること」の重要度と充足度について測定した「国民生活選好度調査」においても、対話・信頼の重要度は変わらないにも拘わらず、充足度が減退する傾向が見て取れる(図3)。また、時系列比較ではないものの、自らの家族については、「きずなやまとまりを大切にしたい」と思う人が98%を占めるという調査結果も出ている(読売新聞社年間連続調査「日本人」2008)。つまり、日本の家族関係は、高い期待は変わらないもしくは増えているにも拘わらず、現実としては剥奪による希薄化が始まっていると言える。

図2

図3

 しかしながら、人びとが希望する家族とのつきあい方を見てみると、矛盾した傾向が見られる。すなわち、つきあい方については、解放の言説に寄り添った意見が多いのだ。家族・親族とのつきあい方については、「何かにつけ相談し、助け合える(全面的)」つきあいを希望する人は年々減少し、「気軽に行き来できる(部分的)」つきあいや「一応の礼儀を尽くす(形式的)」つきあいを希望する人は年々増加している(図4)。老後の家族(子や孫)とのつきあい方についても「いつも一緒に生活できるのがよい」は減少し、「ときどき会って食事や会話をするのがよい」、「たまに会話をする程度でよい」が増加している(図5)

図4

図5

 以上の結果から読み取れるのは次のような傾向である。まず、日本人は、家族との人間関係について、全人的というよりも必要な範囲で関わりたいと考えている点で、選択の余地を含む解放の言説に寄り添っている。しかし、その一方で、家族関係の揺らぎによるサポート源の剥奪を不安視し、家族に強い期待を抱く、または強く依存しようとしている。つまり、中間集団が揺らいだことによる解放感は享受したいと感じる一方で、不安な部分は既存の家族関係に救って欲しいと感じているのだ。

2.仕事関係の変化
 家族と同様に、企業集団も揺らぎを見せ始めている。日本企業の特徴である終身雇用、年功序列、企業別組合を中心とした凝集的な集団的体質は90年代に急速に衰えていった。その動きに併せて、働く人びとは自らの意思や考えに従い進路を選択し、それに対する責任をもつことを余儀なくされている。それは一面では企業が提供(拘束)するライフコースからの解放であり、他面では一生涯を保障してくれる宿り木の剥奪である。こうしたなか、家族関係に見られたのと同様の心性が生じつつある。すなわち、一方では、解放の果実を楽しみ、他方では、崩れゆく企業共同体に不安を抱き、頼れる存在として在りし日の日本型経営にすり寄る姿である。以下では、さまざまなデータを参考にしてその独特の心性を確認しておこう。
 まず、既存の連帯の揺らぎである。『平成19年版 国民生活白書』では、「7人に1人が職場に相談相手がいない」、「深い付き合いを望まない人が増加傾向」、「職場旅行に行く人の割合は大きく低下」、「職場の人と飲み会に頻繁に行く人は少ない」、「職場の縁による婚姻割合は低下している」といった事実の提示を通じて職場の人間関係の希薄化を論じている。そうした事実を受け、人びとのつながりについて、以下のように結論づけている。
 家族、地域、職場のつながりの姿は、それぞれ大きく変化している。例えば、家族ではそれぞれの行動が個別化しており、地域においても、近所付き合いは疎遠となり、町内会・自治会へあまり参加しない人が増えている。また職場では仕事以外の付き合いが減っているとともに、企業に帰属することの意識が薄くなっている。(内閣府 2007: 201)

 これらの事実は、かつて共同体と言われていた企業内の人間関係が揺らいでいることを表している。こうした状況の中、共同体的な連帯に回帰する姿勢は色濃く出ている。図6を見て欲しい。この図は、人びとが企業に何を望むかを経年的にまとめたものである。このうち日本的経営を表す終身雇用、組織との一体感、年功賃金は、近年に近づくにつれ鋭く伸びている。一方、個人処遇の強化・拘束からの解放を示唆する自己啓発型能力開発は微減傾向を示す。ここから人びとの日本型経営に対する期待の拡大傾向が伺える。

図6

 しかしながら、人びとは、日本型経営が提供する安心だけでなく、個人の欲求の充足も重視している。図7は人びとが理想とする仕事をまとめたものである。これを見ると「収入が安定している仕事」と「自分にとって楽しい仕事」がずっと高い数値を保っていることがわかる。つまり、働く人びとは構造的・制度的な安定と自己の心理的欲求の充足を強く望んでいるのだ。このうち前者は剥奪による危機から労働者を守ってくれる防御壁にあたり、後者は解放の言説における恩恵に当たる。つまり、仕事の世界においても人びとは、中間集団の揺らぎによる解放の恩恵は受けたいが、それによる剥奪のリスクは構造的に安定したもので回避したいと考えているのだ。

図7

 このような事情を反映してか、日本型経営への期待が高まったからといって、会社に対する従来のような忠誠心は復活していない。図8は人びとの会社への帰属意識を、図9は人びとの仕事・余暇に対する志向を表している。これを見ると会社への帰属意識はむしろ下降していることがわかる。同様に仕事志向は徐々に減少し、仕事・余暇の両立志向が増えていることがわかる。

図8

図9

 これらを総合すると、現在の労働者は、共同体的な会社組織が揺らぐなか、それに適応するために、仕事においては自己の満足を重視し、また、仕事へのコミットを切り下げていると言える。その意味では集団的な会社からの解放の傾向を読み取ることができる。しかしその一方、剥奪を回避するため、旧来的な日本型経営にすり寄りつつある。これは家族関係で見られた「解放の恩恵を受けつつ旧来の慣行にすがる」傾向とほぼ一致する。したがって、人びとは、企業社会においても中間集団が揺らいだことによる解放の果実を楽しみつつも、剥奪のリスクの回避は、まさに自らを縛り付けてきた企業共同体に求めていると言えよう。

3.まとめ
 以上の分析結果を踏まえ、日本において中間集団の揺らぎはどのように受けいれられてきたのかまとめよう。
 家族・企業といった中間集団の揺らぎは、これまで人びとを拘束してきた連帯からの解放を促す一方で、これまで手厚いサポートを提供してくれたサポート源を剥奪してしまう。こうした状況の中、人びとは矛盾した二つの要求を掲げている。すなわち、中間集団から解放されたことによる「気楽さ」を楽しむ一方で、リスク回避の手段として失われつつある中間集団に追いすがろうとする動きが見られるのである。
 家族の結びつきが緩やかになる中で、人びとは、家族と「いつも一緒」「全面的なつきあい」でなくても構わないという感覚を抱くようになった。同様に企業についても、これまでのように「会社人間」でなく、プライベートも重視し、帰属意識を弱体させるという方向での転換が行われた。これらは、既存の束縛からの解放を意味している。
 しかしその一方で、人びとは、解放に伴う剥奪のリスクを回避する手段として、従来通りの家族や企業共同体に頼ろうとしている。人びとは旧来的な温かい家族や会社に回帰する姿勢を強めているのである。このような事実を踏まえると、日本人は、解放の文脈の中、家族関係や会社関係に縛られない個人生活を楽しむことには前向きだが、剥奪のリスクへの対処は、まさに自らを縛り付けてきた家族、企業共同体に求めていると言える。


参考文献
内閣府,2007,『平成19年版 国民生活白書―つながりが築く豊かな国民生活』


1ちなみに事実婚については、現在のところ把握する統計資料が存在しないので、実態は不明確である。しかしながら、非嫡出子の数がそれほど増えていないところを見ると、それほどの増加は見込めないと考えられる。
2厚生労働省「少子化に関する意識調査」(2004)から。
3同じ調査で未婚者の多く(男性60.8%、女性58.0%)が結婚しない理由を「理想の相手に巡り会わない」と回答していることからも、未婚の理由が自発的でないことがわかる。
4厚生労働省「児童環境調査」および「全国家庭児童調査」によれば、家族そろって週4日以上夕食をとる頻度は、1976年の58.3%から’91年、’96年、’01年と調査を重ねるごとに減少し、2004年には45%になった。同じ調査によれば、働く父母の平日の帰宅時間は、2001年から2007年にかけて着実に遅くなっている。また、読売新聞社が2008年に行った世論調査によれば、家族の「きずな」や「まとまり」が「弱くなってきている」と答える人は「どちらかといえば」も含めると89%に達している。