中央調査報

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■「中央調査報(No.669)」より

 ■ 政治変動期の団体政治
―主要団体リーダーによる歴代政権評価の分析―


久保 慶明(筑波大学・助教)
辻中  豊(筑波大学・教授)


 1.社会の視点から政治を捉えるために
 2009年8月、民主党を中心とする連立政権が誕生した。これにより、1990年代以降政治改革を進めてきた日本は、その目標の一つであった選挙による政権交代を実現した。しかし、民主党は2012年の衆院選で敗北し、自民党と公明党が再び政権の座に就いた。有権者は2つの衆院選で続けて政権を交代させることになった。2005年総選挙での自民党大勝を含めれば、衆院選では3回続けて大きな変動が起きたことになる。
 なぜ、短期間にこのような変動が繰り返されるのだろうか。主な要因の一つが小選挙区比例代表並立制という選挙制度であることは間違いない。しかし、選挙制度が選挙結果に与える効果は有権者の投票行動に依存する。そして、有権者の投票行動は多種多様な要因から影響を受ける。その一つに、町内会、農協、労働組合、商工会、福祉団体、市民団体など、有権者が所属する組織や団体(以下、団体)の影響がある。
 近年、各種団体では組織率の低下やメンバーの高齢化といった問題が生じている。有権者の投票行動に団体が与える影響が小さくなれば、個人としての考えや心理が与える影響は大きくなる。ただ、そのような投票行動は不安定なものだろう。組織率を低下させながらも一定の票数を抱える組織票は、選挙結果に影響を与え続けている。さらに、政府は政権運営や行政活動に際して、社会で活動する団体と連携しなければならない。1990年代後半には新たに特定非営利活動法人制度が創設され、2008年には公益法人制度の抜本的な改革が行われた。社会における団体の動向と政治の変動とは無関係ではない。
 筑波大学では、科学研究費補助金基盤研究S「政治構造変動と圧力団体、政策ネットワーク、市民社会の変容に関する比較実証研究」(2010~2014年度:代表・辻中豊)の一環として、2012年に「団体に関する調査」(以下、団体調査)を実施した。全国規模で活動する団体リーダーへの面接(一部留置)調査である。これまで、京都大学の村松岐夫名誉教授らは、社会の側から政治を捉えることを目的として、1980年、1994年、2003-4年に団体調査を実施してきた1。2012年調査はこれらを発展的に継承した。図1に示す通り、2012年は675団体を対象として、44.1%にあたる298団体から回答を得た。1980年や1994年に比べると、農林水産業団体や労働団体の割合が低下し、市民・政治団体の割合が上昇した2

図1 回答団体の分類(%)


 2012年調査の具体的な目的は、グローバル化の進展、政権交代の実現、東日本大震災の発生など、政治・経済・社会状況の変動下における政府と社会の関係を多角的に捉えることにある。本稿では、民主党政権や歴代内閣に対する評価の分析を通して、政治変動期の日本における利益団体政治の動向を探ることにしたい。

 2.民主党政権への期待と不満
 『時事世論調査』によると、2009年衆院選直前(8月)の各党支持率は、自民党17.1%、民主党18.4%、公明党4.5%だった。2012年衆院選直前(12月)には、自民党15.3%、民主党5.9%、公明党3.6%、日本維新の会3.9%となった。単純に考えれば、民主党は政権党を務めた3年半の間に、約3分の2の支持を失ったことになる。この変化には、2009年に有権者が抱いていた民主党への期待、その後の政権運営への不満が表れている。
 団体調査では、2009年の政権交代当時の民主党にどの程度期待していたか、また、2012年時点で民主党による政治に満足しているかどうかを尋ねた(表1)。政権交代当時、民主党に「ある程度」以上期待していた団体は約75%あった。しかし、2012年時点で満足していた割合は10%に満たない。有権者と同様に多くの団体にとって、民主党政権は大きな期待を抱かせ、その後不満を与えるものだったことがわかる。

表1 民主党への期待度、満足度(%、問5、6)


 不満の理由にはどのようなものがあったのだろうか。調査では満足や不満の理由を自由に述べてもらった。その内容を分類すると3つのことを読み取れる(表2)

表2 民主党への満足・不満の理由(%、問6)


 第1に、政策方針の内容と政権運営の両方が、満足や不満の要因となっていた。政権運営が批判されることの多かった民主党だが、政策そのものを支持しない団体も少なくなかった。第2に、「不満」と回答した団体のうち27.5%がマニフェスト(政権公約)の実現をめぐる問題を指摘した。選挙で掲げた公約を変更、撤回する民主党の姿は、有権者だけでなく団体にも不満を与えた。第3に、「満足」であれ「不満」であれ、東日本大震災への対応がほとんど挙がらなかったことが注目される。図2図3に示すように、各団体は震災への支援活動や政府への要望を行った。特に、地方支部を持つ団体(濃い棒)での活動が盛んだった。それにもかかわらず、震災対応は不満の理由として挙がっていない。全国規模で活動する団体にとって、民主党政権への評価と震災対応は直接結びつくものではなかったのである。

図2 支部の有無と東日本大震災支援活動(%、問1、留置問13)


図3 支部の有無と東日本大震災をめぐる政府との接触(%、問2、3、留置問13)


 3.歴代政権への評価
 このように民主党政権は、社会から大きな期待を集めながらも、政策方針や政権運営に問題を抱えていた。予算を「コンクリートから人へ」と組み替えた民主党は、業界と政治とのしがらみを断つことを目指した。これは有権者個々人や福祉団体からの支持を集めたかもしれない。その一方で、関連業界からの支持を集めることを困難にした。政権交代後には、在日米軍普天間基地の県外移設断念などマニフェストの一部を撤回する一方、消費増税のように政権公約にはなかった政策の決定に踏み切った。マニフェストの実施に期待をかけた人々に失望を与えたであろう。さらに民主党は、政権や党組織の運営に失敗した。かつての自公政権末期と同じように、首相は1年ごとに交代した。消費増税に反対した小沢一郎グループは2012年7月に民主党を離党した。これらが原因となって、3年半の民主党政権の間に、有権者個人だけでなく団体の間にも不満が蓄積した。
 もっとも、これらの問題は自民党などの歴代政権も抱えていた。鳩山由紀夫内閣では、マニフェストの実現を目指して財界と距離を置きながら政権運営を進めた。これは、自民党政治が財界を重視してきたことへの反動とみることができる。菅直人内閣では、東日本大震災の発生後、自民党に大連立を持ちかけたが実現できなかった。自公政権時代の2007年にも、当時の与党自民党と野党民主党の間で大連立構想は浮上したが、実現には至らなかった。野田佳彦内閣では、社会保障と税の一体改革など自民党と共通する政策の実現を目指した結果、小沢一郎グループが離党した。党内派閥を抱えていた自民党政権も、党や政権の運営方針をめぐって分裂の可能性を常に抱えていた。要するに、民主党が抱える問題は自民党など他の政党も抱える問題だったのである。したがって、民主党政権の評価は自民党など歴代政権との比較を通じて明らかにされなければならない。
 図4に示したのは、8つの歴代政権への評価である。0点を「全く評価していない」、5点を「どちらともいえない」、10点を「非常に評価している」とする尺度にあてはめて点数をつけてもらったところ、3つのグループに分かれた。第1に、肯定的評価の多いグループとして、中曽根康弘、橋本龍太郎、小泉純一郎の自民党政権が該当する。6~10点が3割を超える。ただし、中曽根と橋本に比べると小泉に対する否定的評価の多さが興味深い。第2に、否定的な評価が多いグループが鳩山由紀夫と菅直人の民主党政権である。どちらも0~4点が5割を超える。第3に、これら2グループの中間に位置するのが、細川護熙、村山富市、野田佳彦である。

図4 歴代政権への評価(%、問7)

 ただ、政策分野ごとにみると様相は異なってくる。調査では団体が関連する政策や活動分野を複数回答で選んでもらった。主要な分野ごとに肯定的評価の割合を示したのが表3である。

表3 政策分野別の政権肯定的評価の割合(%、問7、8)

 中曽根の評価が特に高いのは産業振興分野と資源エネルギー分野である。自民党が単独政権時代に進めた経済政策の実績は、2012年時点でも高い評価を集めていた。同時に注目されるのは、資源エネルギー分野において、野田への評価が小泉と同程度に高いことである。大飯原発再稼働を決めた野田の方針に、産業界からの評価が集まっていたことを示唆する。
 これらに比べると、他分野では全体のばらつきが相対的に小さい。鳩山内閣は、農業者戸別所得補償制度と子ども手当制度の導入を決定した。こうした普遍主義的な分配政策は、農林水産業分野や厚生福祉医療分野での鳩山内閣の評価につながったと推測される。厚生福祉医療分野では野田への評価も高い。橋本や小泉など自民党の厚生大臣経験者と同等の評価を得ている。これは、野田の進めた社会保障と税の一体改革への評価の表れであろう。
 労働分野では、菅に比べて鳩山の評価が10ポイント以上高い。これは民主党の主たる支持基盤である労働組合の評価によるところが大きい。表には示していないが、労働組合の中での肯定的評価の割合は、菅21.7%、野田33.3%に対して、鳩山47.8%である。労働組合の支持を受けて誕生した民主党政権だったが、首相交代に伴って評価を低下させる結果となった。
 ここまでみてきたように、団体による評価から歴代8政権を分類すると、中曽根・橋本・小泉の自民党政権、鳩山・菅の民主党政権、両者の中間に位置する細川・村山・野田の3グループに分かれる。そこで、各政権相互の関係をみてみよう。表4に示した相関係数をみると、3グループの存在を確認できる。すなわち、中曽根と橋本と小泉、鳩山と菅、細川と村山が、強い正の相関関係にある。

表4 政権評価の相関係数


 ただし、野田はいずれの政権ともやや強い相関関係にとどまる。リベラルに傾斜した鳩山、菅の政策路線を、中道寄りに修正した結果と考えられる。これは次の点にも表れている。中曽根・小泉は鳩山と弱い負の相関関係にあり、菅との間には有意な相関関係がないのである。鳩山(や菅)が、中曽根や小泉のとった新自由主義的な政策路線とは対立的な路線をとっていたことがデータに表れている。
 もっとも、係数の正負をみるとほとんどが正である。これはどの政権に対しても常に一定の評価を与える団体が多いことを意味する。党派にかかわらず、政権を評価する志向を持つ団体の存在を示唆している。

 4.歴代政権の中の民主党
 本稿では2012年の団体調査の質問の中から、民主党政権や歴代内閣・政権に対する評価の分析を行ってきた。もちろん、歴代政権への評価は2012年時点からみたものであり、当時の評価ではない。しかし、その内容はそれぞれの時期の政策的な特徴と整合的な結果であった。
 自民党単独政権は、幅広い政策分野で評価を集めていた。中曽根内閣への評価の高さは、幅広い支持を集める包括政党(catch-allparty)としての自民党の特徴を示唆するものである。1993年の政権交代後に成立した、細川を首班とする非自民連立政権や村山を首班とする自社さ連立政権は、社会党が政権党となったことを反映して、それまで自民党と距離を置いていた労働組合からも評価を集めた。その後誕生した橋本内閣は、産業分野を中心に評価を受けたものの、かつての自民党単独政権期ほどの評価を得ることはできなかった。さらに、新自由主義的な政策を推し進めた小泉内閣においては否定的な評価が増加した。2009年に誕生した民主党政権では、当初の鳩山内閣が財界と距離を置き、連合など労働組合から評価を得た。しかし、菅の政権運営は労働組合から評価を得られなかった。後任の野田は中道路線をとって広い分野で評価を得たものの、民主党の支持基盤である労働組合からの評価を回復することはできなかった。
 このような動向を踏まえると、近年の日本で政治変動が繰り返される理由をどのように考えることができるだろうか。本稿が示唆するのは次の2点である。
 第1に、表4で示したように歴代政権への評価が正の相関を持つことは、政権党志向の団体が少なくないことを示唆する。政治改革の中で政党政治は流動化した。さらに、政党助成制度の創設によって、政党は支持団体への資金依存度を低下させた。その中で団体は、自らの活動目的を実現するために、政権党になると見込まれる政党との関係を重視しながら行動してきた。団体と政党の関係も流動化したのである。第2に、民主党を評価する団体は自民党に比べて少数にとどまっていた。民主党政権に対する評価の低さは、民主党への支持が団体世界に拡がっていなかったことを示唆する。政権交代は、民主党が予算など国家資源を活用して党勢を拡大する好機だった。しかし民主党は、普遍主義的な分配政策をとることに成功した一方で、各業界との関係を深める政策は採用せず、政権運営にも成功できなかった。その結果、団体世界での支持は低調なものにとどまった。これらの要因が有権者の投票行動に影響を与え、短期的な政治変動をもたらす一因になったと考えられる。

 脚注
 1 村松岐夫・伊藤光利・辻中豊『戦後日本の圧力団体』(東洋経済新報社、1986年)。『レヴァイアサン』1998年冬増刊号特集「政権移行期の圧力団体」。村松岐夫・久米郁男編著『日本政治 変動の30 年』(東洋経済新報社、2006年)。村松岐夫『政官スクラム型リーダーシップの崩壊』(東洋経済新報社、2010 年)。
 2 調査の詳しい概要は右記URLを参照されたい(2013年6月30日現在)。http://cajs.tsukuba.ac.jp/2013/03/23-24.html