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■「中央調査報(No.636)」より

 ■ 労働審判利用者調査のねらい

佐藤岩夫(東京大学社会科学研究所・教授)  

 筆者を含む東京大学社会科学研究所の研究グループは、現在、中央調査社の協力を得て、労働審判制度の利用者調査(『労働審判制度についての意識調査』)を実施している。個別労働紛争の新しい解決手続として2006年に導入された労働審判制度について、実際にこの制度を利用した当事者の評価とその構造を明らかにし、よりよい労働審判制度をつくるための基礎資料を得ることが目的である。本稿では、先行して行われた民事訴訟利用者調査の結果も参照しながら、この調査のねらいについて簡単に紹介する。

1.個別労働紛争の増加と労働審判制度
 日本では、近年、産業構造の変化にともなう企業の人事労務管理の多様化・個別化、就業形態や就業意識の多様化、そして長引く不況の影響で、個々の労働者と事業主との間の紛争(個別労働紛争)が急増している。
 個別労働紛争については、企業内の紛争解決、行政による紛争解決(労働局長による助言・指導、紛争調整委員会によるあっせん、労働委員会による個別労働紛争のあっせんなど)のほか、裁判所による紛争解決(民事訴訟、仮処分など)が用意されているが、この裁判所による紛争解決について、2006年に新たに導入されたのが、労働審判制度である。労働審判は、従来の民事訴訟と比較して、①原則として3回以内の期日で審理を終結すること、②裁判官(審判官)だけでなく労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員2名が関与すること、③代理人(弁護士)ではなくなるべく当事者本人に直接発言させて口頭主義・直接主義を徹底すること(ラウンドテーブル方式を取り入れて当事者が話しやすい雰囲気を実現している)、④審判機能と調停機能を結びつけることなど、随所に新しい試みが取り入れられている。
 注目されるのは、その利用件数の伸びであり、制度が導入された2006年(4月~12月)の877件から、2007年(1月~12月。以下同じ)は1,494件、2008年は2,052件、2009年には3,468件と急速に増加し、制度導入後わずか4年で、労働関係訴訟の件数(2009年は3,125件)を上回ることとなった。2010年に入ってからもさらに増加の勢いであると聞いている。従来、諸外国と比較して日本では、個別労働紛争を裁判所の手続によって解決することが非常に少ないといわれてきたが、労働審判という新しい制度が導入されたことによって、個別労働紛争を裁判所で迅速・適切に解決することが容易になった。実際、当事者や代理人(弁護士)の話を聞いても、この制度への満足は高いようである。

図1

 しかし、そもそも、この労働審判制度には、具体的には、どのような紛争が持ち込まれ、また、そこではいかなる解決が図られているのであろうか。また、この制度は、一般的に高い評価を得ているが、より具体的に、当事者は、この制度のどの点に満足し、逆に、どの点には不満を持っているのであろうか。労働審判制度の実情およびそれをめぐる当事者の評価の全体像は、必ずしも十分には明らかとはなっていない。労働審判制度は確かに良好なスタートを切ったが、今後この制度をさらにより良い制度に育てていくためには、その運用の実情と当事者の意見・評価を詳細に明らかにすることが必要である。東京大学社会科学研究所は、このような問題意識から、労働審判制度の利用者を対象とする調査を実施することとした(なお、本調査は、文部科学省「近未来の課題解決を目指した実証的社会科学研究推進事業」の委託を受けた本研究所の「生涯成長型雇用システム」プロジェクトの一部として行われている)。

2.労働審判利用者調査の概要
 本調査の実施期間は、2010年7月12日から11月11日までの4ヶ月間であり(したがって、本稿の執筆時点ではまだ進行中である)、調査の対象者は、この期間に全国の裁判所で労働審判手続期日が実施され、かつ、調停が成立しまたは労働審判の口頭告知が行われた期日に出頭した当事者(申立人・相手方双方)である。調査方法は郵送法であるが、今回の調査では、まず、上記の期間に期日に出頭した当事者に対して、裁判所から、調査の説明書および調査協力意向確認のための回答書(ハガキ)を交付し、後者の回答書で調査に協力する意向を表明し氏名・住所の情報を提供した当事者に対して、あらためて調査票を郵送するという手順をとっている。このような2段階の手順を踏んでいるのは、労働審判が裁判所の非公開の手続であり、当事者の意思とプライバシーを最大限尊重し、慎重に調査を実施する必要があるためである。実は、調査対象者の氏名・住所の情報をどのような形で入手できるかは、本調査の設計の最大の課題であった。同じ裁判所の手続でも、手続が公開されており、記録の閲覧も可能な民事訴訟の場合と異なり、非公開の手続である労働審判の場合には、裁判所から直接当事者の氏名・住所の情報を提供してもらうことは制度的に困難である。そこで今回の調査では、裁判所から当事者に対して調査説明書類を交付してもらった上で、調査に協力するかどうか、氏名・住所の情報を提供するかはあくまで当事者自身の自由な判断に委ねることによって、手続の非公開性と調査の実施を両立させることを試みたわけである。この方法は、裁判所の現場に大変な負担と苦労をかけるやり方であり、最高裁判所を初めとする関係者の理解と協力にこの場を借りてあらためて感謝を申し上げたい。
 裁判所の非公開の手続についての大規模かつ信頼できる学術調査は、日本ではこれまで先例がほとんどなく、今回の調査は、回答の内容はもちろんであるが、この方法によってどれだけ多くの当事者の協力が得られるか、調査方法の点でも研究者の関心を集めている。

3.民事訴訟利用者調査の結果から見た労働審判の可能性
 (1)訴訟への満足が低い労働事件の当事者
 ところで、過去に先行して行われた民事訴訟制度の利用者調査では、労働事件の当事者は、その他の事件の当事者と比較して、訴訟の結果の満足が低いという結果が出ている。そうだとするならば、労働関係訴訟の当事者の不満のありかを考えておくことで、逆に労働審判制度に期待される働きや、われわれの調査の焦点もはっきりするであろう。
 民事訴訟の利用者調査は、大規模なものはこれまで3回行われている。最初の試みは、2000年に政府の司法制度改革審議会によって行われた調査であり(司法制度改革審議会2000.なお、そのデータの二次分析として佐藤・菅原・山本2006も参照)、その後2006年に、2000年調査で中心的な役割を果たした研究者グループによって継続調査が行われた(民事訴訟制度研究会編2007。なお、菅原・山本・佐藤2010も参照)。さらに、後者とほぼ同じ時期の2006年から2007年にかけて、別の研究者グループによっても民事訴訟制度の利用者調査が行われている(フット・太田編2010)。それぞれ貴重な調査であるが、本稿では、このうち、労働事件の分析にもっとも適していると思われる2006年の民事訴訟利用者調査(以下、「2006年調査」)のデータを用いる。この調査では、2006年6月1日から30日までの間に終局に達した全国146の地方裁判所の本庁・支部の民事通常訴訟の当事者2,925人に調査票を送付し、921人から回答が得られた(回収率31.5%)。
 2006年調査では、当事者が、自分の経験した訴訟の結果について満足しているかどうかを質問している。この質問に対する回答(「1 まったく満足していない」~「5 とても満足している」)の平均値を、事件類型ごとに比較してみると、図2のようになる。労働事件(調査票の表現は「職場における問題」)の当事者の満足度は、全部で10ある事件類型の中で最も低い。

図2

 (2)結果の有利・不利だけでなく審理の充実も重要
 では、労働事件の当事者の満足が低いのはなぜであろうか。労働事件のケース数が少ないため(事件類型を回答した893人のうち労働事件は4.8%〔43人〕。なお、回答者数は質問ごとに異なる)、厳密な分析は難しいが、探索的に、まず全事件を対象に、訴訟結果の満足に影響を及ぼしている要因を明らかにし、次いで、それらの要因についての労働事件の特徴を確認するという方法で分析を試みた。
 表1 は、訴訟の結果の満足度(「1 まったく満足していない」~「5 とても満足している」)を従属変数とし、訴訟費用の評価(「訴訟にかかった費用の総額」について「1 非常に安い」~「5 非常に高い」)、審理期間の評価(「訴訟を終えてかかった時間」について「1 短すぎる」~「5 長すぎる」)、訴訟の終局形態(和解=1、判決=0のダミー変数)、訴訟結果の有利さ(「1 不利」~「5 有利」)、審理の充実(「今回の訴訟では、充実した審理が行なわれたと思いますか」について「1 まったくそう思わない」~「5 強くそう思う」)の各変数と、労働事件ダミー変数(労働事件=1、それ以外の事件=0)を独立変数として投入した重回帰分析の結果である。

表1

 一般に、訴訟にかかるコスト(費用と時間)は訴訟結果の満足度を低くする要因と考えられているが、分析の結果、やはり費用がかかる(「高い」)と訴訟結果の満足が低くなることが確認された。これに対して、審理期間については有意な効果は確認されなかった。審理期間の場合、「長すぎる」ことはもちろん否定的に評価される一方、短ければよいかといえば、「短すぎる」ことも、十分な審理が行われていないとして否定的評価と結びつく可能性が指摘されており、単純ではない。むしろ、機械的な時間の長短よりも、すぐ後で述べる審理の充実が重要なポイントとなっているようである。
 次に、終局が和解であるか判決であるかは、それだけでは訴訟結果の満足に影響を及ぼしていない。これに対して、訴訟結果の有利さは、訴訟結果の満足に有意なプラス効果をもつことが確認された。当然といえば当然であるが、やはり結果が自分にとって有利であるかどうかは、当事者の満足度を左右する重要な要因である。
 最後に、訴訟の過程・手続についてであるが、審理の充実は、訴訟結果の満足に有意なプラス効果が確認された。ここで重要なのは、審理が充実しているとの評価は、訴訟の結果の有利・不利とは独立に、訴訟結果の満足に影響を及ぼしている点である。訴訟には必ず勝ち負けがあり、不利な結果が出た当事者の満足が低くなるのは避けられない。しかし、その場合でも、審理が充実していたと考える当事者の満足はそれなりに高くなるのである。

 (3)労働事件の当事者はどこに不満を持っているのか
 以上の結果をふまえて、訴訟結果満足に有意な影響があることが確認された3つの要因について、その平均値を労働事件とそれ以外とで比較してみたのが表2である。費用については労働事件とそれ以外で有意な差はなかったが、訴訟結果の有利さおよび審理の充実については、労働事件の平均値が有意に低い。つまり、労働事件の当事者は、訴訟の結果が自分にとって不利だと評価し、また、審理は充実していなかったと評価する傾向が見られる。これらのことが、労働事件の当事者の満足を低下させる要因になっていると推測される。

表2


 労働事件の当事者に訴訟結果が自分にとって不利だと評価する傾向が見られるのはなぜかについては、2006年調査は直接の手がかりは与えていない。ただ、当事者が訴訟を起した動機を分析してみると、労働事件の当事者には、訴訟を通じて単に経済的・現実的利益(金銭や地位)を実現したいというだけでなく、名誉・自尊心や自由などの精神的・人格的利益を守りたいという動機が強いことが確認される。経済的・現実的利益の実現と比較して、精神的・人格的利益を訴訟という方法で実現することは相対的に難しいとの指摘があり、このことが労働事件の当事者に「訴訟では自分の言い分や主張が認められなかった(訴訟の結果は自分に不利である)」という感覚を与えている可能性がある。
 他方、労働事件の当事者で審理の充実の評価が低い点については、2006年調査によって、労働事件の当事者の具体的な不満が明らかになっている。それによれば、労働事件の当事者は、それ以外の事件の当事者と比較して、「訴訟の中で、自分の側の立場を十分に主張できたか(立場主張)」、「訴訟の中で、自分の側の証拠を十分に提出できたか(証拠提出)」、「今回の訴訟では、結果はともあれ、訴訟の進み方は公正・公平だったか(進行の公正)」、「裁判官は、事件の問題点について十分に理解していたか(裁判官の問題理解)」、「今回の訴訟の進み方は合理的だったか(進行の合理性)」、「今回の訴訟の進み方は時間的に効率的だったか(時間的効率性)」の各項目で、評価が有意に低くなっている。逆に言えば、これらの項目について労働事件の当事者の評価を改善する手続が構想できるのであれば、訴訟に対する評価の全体も改善される可能性がある。

 (4)労働審判制度のメリット
 実は、労働審判手続は、そのような可能性を開いた制度である。冒頭でのべたような口頭主義・直接主義の徹底は、「立場主張」の評価を改善し、また、労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員の関与は、「裁判官の問題理解」の評価の低さを補う可能性がある。さらに、原則として3回以内の期日で審理を終結させることは、審理期間の短縮化もさることながら、審理の計画的な進行や審理の内容にメリハリをつける効果があり、これは「進行の合理性」や「時間的効率性」の評価の改善につながる可能性がある。労働審判制度の手続設計は、労働関係訴訟における当事者の不満のポイントをうまく押さえたものとなっており、結果の有利・不利とは独立に、当事者の満足を高めている可能性が推測される。
 以上は、労働関係の民事訴訟の当事者の満足が低いということから出発し、いわば裏側から労働審判の当事者の評価を推測した仮説であるが、労働審判利用者調査の結果がはたしてこの仮説を支持することになるのか、それとも予想を裏切って、新しい検討課題を提起することになるのか、調査の終了を待つことにしたい。

4.むすび
 近年、法(学)の世界では、実証的な根拠に基づいた法政策(evidence-based legal policy)の重要性についての意識がますます高まっている。2000年に日本で最初の民事訴訟利用者調査を実施した司法制度改革審議会も、2001年6月に公表した最終意見書の中で、「何より重要なことは、司法制度の利用者の意見・意識を十分汲み取り、それを制度の改革・改善に適切に反映させていくことであり、利用者の意見を実証的に検証していくために必要な調査等を定期的・継続的に実施し、国民の期待に応える制度等の改革・改善を行っていくべきである」と指摘している。法制度を設計し、それを不断に見直していく際には、その制度の現実の機能を踏まえることが重要であり、制度の実際の利用者の意見・評価はそのための重要な手がかりを与える。現在実施中の労働審判利用者調査も、実質的な知見の獲得と方法的な試みの両面で、有意義な貢献ができるものと期待している。


【引用文献】
佐藤岩夫・菅原郁夫・山本和彦(2006)『利用者からみた民事訴訟:司法制度改革審議会「民事訴訟利用者調査」の2次分析』日本評論社。
司法制度改革審議会(2000)『「民事訴訟利用者調査」報告書』司法制度改革審議会。
菅原郁夫・山本和彦・佐藤岩夫(2010)『利用者の求める民事訴訟の実践:民事訴訟はどのように評価されているのか』日本評論社。
ダニエル・フット、太田勝造編(2010)『現代日本の紛争処理と民事司法3:裁判経験と訴訟行動』東京大学出版会。
民事訴訟制度研究会編(2007)『2006年民事訴訟利用者調査(JLF叢書Vol.13)』商事法務。