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■「中央調査報(No.800)」より

 ■統治の不安と日本の民主主義(上)アジア的価値観のもたらすインパクト-


同志社大学 社会学部 池田 謙一  

 日本社会の分析の解像度を上げるために、「統治の不安」(anxiety over governance)という概念が貢献する、とこの10年近く主張してきた。この概念は「国の政治が近未来的にまともに統治されていくのか」についての市民の不安感を指す。将来への期待が投票行動にプラスの効果を持つことは何十年も前からアメリカ政治の文脈で実証されてきたが、他方、将来のネガティブな国の統治のイメージが持つ効果、つまり統治の不安はこれからが旬の研究対象である。
 筆者は統治の不安が、社会の将来のリスク認識に関わり、政府に対する非弁別的な批判に結びつく一方、社会の分断の認識と相まって政治参加を促進することを示してきた。本稿では上下二回に分けて、関連した分析を紹介し、この概念の重要性を指摘したい。


1.「統治の不安」の発想
 「統治の不安」への最初の気づきは、2010-14年に実施の世界価値観調査(WVS)第6波調査の新調査項目からもたらされた。それは、自国が戦争・テロ・内戦の危機に巻き込まれるようなリスクの認識の測度であったが、これに対し日本人が過大に反応することを見いだした。同様の過大なリスク認識は2020年の新型コロナ災禍第1波時の国際比較調査(VIC)でももろに日本人に表れ、感染者や死者の数に比して「ぼろくそ」の政府評価が浮かび上がった。また、こうした高いリスク認識は国がまともに統治されていると認識すると大きく軽減することも判明した(Ikeda, 2022)。
 筆者はこのリスク認識の本質をなすのは「統治の不安」だと考え、それを直接測定する尺度を開発し、岸田政権成立直後の2021年衆院選時以後2023年秋まで5回にわたって測定の機会を得た。分析を進めると、統治の不安は国の将来のリスク認識と予想通りプラスに関連するのみならず、政府のコロナ対策評価に対しては、自分が受けた健康や経済上の実被害よりはるかにネガティブなインパクトを与えていた(同掲書)。さらに5回の調査を通じて、日本人の過半を大きく超える市民が不安を表明し続けた。そこから類推すると、2023年末に表面化した自民党国会議員の裏金問題に対する世論でも、過去の政治のあり方に対して政治不信が深刻化したというよりも、市民感覚と乖離した政治家が将来的に何を「しでかす」か分かったものではない、こういう人たちに今後の統治を任せられるのか、という統治の不安が有権者の心をより暗くしている、と見える。
 本稿ではまず、アジアンバロメータ調査(ABS)の最近4波の比較データ分析(ABS3(日本調査は2011)、ABS4(2016)、ABS5(2019)、ABS6(2023)から、アジア的価値観と統治の不安との関連性を検討し、統治の不安とパターナリスティックな政治的志向性(公的価値垂直性強調)、調和を押しつける志向性(公的価値調和志向)を示す価値観とが相まって民主政治にどんなインパクトを及ぼすか検討したい。本稿第2回目の報告では主に日本だけの分析を扱うが、今回はアジアの中の日本の位置を政治文化的に確認しつつ行う分析を進める。このことで単独で一国のみ扱う研究より、アジアや世界の中の日本/日本人の相対的位置づけと文脈が明確になる。巷間にしばしば見られる比較対象曖昧な日本ユニーク論を回避する良策だと考えている。その一方で、多様なアジアの中での価値観や統治の不安が持つ意味の一般化可能性を問うことも可能となる。言うまでもなく、アジアは政治的、経済的、宗教的、歴史的な多様性に満ちあふれており、またABSにはオーストラリアのような「西欧」の国も含まれているからである。

2.アジアンバロメータ調査における統治の不安代替指標
 ABSは中国本土をも含めた東アジア・東南アジアの民主化、経済発展、社会のあり方、アジア的価値観、国際関係について広く比較の機会を与えるプロジェクトで、現在はオーストラリア、南アジア(インドなど)も含めた20カ国が参加している。台湾中央研究院の故ユンハン・チューが21世紀の入り口から精力的に全体を統括してきた。このプロジェクトへの日本の参加とその後20年間の経緯は他に譲るが(池田,2024)、筆者は日本のチームリーダーとして6波全ての全国面接調査を実施してきた(次回は次世代に橋渡ししている)。
 ABSには、統治の不安概念そのものを測る尺度が元から存在していたわけではない。筆者がメンバーを説得し、次回調査からは直接的な尺度が投入されるが、本稿ではこれまでABSの第3波以後測定された「統治の不安」に近似する尺度の分析を紹介し、アジアの中での統治の不安の意味を考えたい。
 近似尺度は4つの項目から成る。「長い目でみれば、現在の政府の体制は、日本が問題に直面したときに対応していけるものだ」「全体としてみれば、日本の政府の体制は誇りに思ってよいものだ」「現在の日本の政府の体制は、困難にぶつかることがあったとしても、国民が支持するに値するものだ」「考えうる他のどんな政府の体制より、日本の政府の体制の下で暮らしたい」である(調査国ごとに自国名を入れて尋ねる)。これらは文面から推測されるように、自国の統治に対する自信ないし信頼を示す尺度であり、その判断の先に国の政治の将来に対する不安という要素が見て取れる。つまり、ここでいう信頼や自信は「これからの国の統治」を含意している。過去に対する眼差しというより、将来に対する確信的な成分を多く含んでおり、それがネガティブになるときに統治の不安は高まると考えられる。2023年10月の日本の全国面接調査データ(ABS6)で測定した統治の不安の直接尺度(次回紹介)との間の相関は-.45(Pearsonの相関係数)あり、今回はこの近似尺度を国際比較分析のための代替指標として分析する。
 図1が示すように、日本では国の政治に対する信頼は強くはなく、とくに2011年と2023年の値は良くない(2023年は裏金問題発覚前にも拘わらず、である)。これら回答の負の側面を統治の不安の代替指標として扱う。図の4項目を以下では1次元の指標として用い( 4点尺度を逆転して集計。分析に用いる全データで信頼性係数値は0.83)、この変数と民主主義を自ら選好するか(「他のどんな形態の政府よりも、民主主義が常に望ましい」を選択するかどうか)との2変数を従属変数として分析を進める。

図1 ABS版統治の不安代替指標(日本データ)

3.アジア的価値観と民主主義
 まず、アジア的価値観と統治の不安の関連性を検討する必要性を確認しておこう。ここでいうアジア的価値観について、筆者は垂直性強調と調和志向の二次元から成ると考えており(池田, 2019; 池田・竹本, 2018)、ABSでは台湾の計量政治学の祖である胡佛博士が開発した尺度を用いて測定している。本稿では全調査波で尋ねられた項目のみを取り出して尺度化した。垂直性強調では「政府のリーダーたちは家長のようなもので、われわれは彼らの決定にすべて従うべきだ」「社会の中で特定の思想を議論してよいかどうかは政府が決定すべきだ」「倫理的に正しいリーダーには、すべての決定をゆだねることができる」が用いられ、調和志向では「人々が多くの団体を組織すると、地域の調和が崩れるだろう」「もし人々の考え方があまりにも多様すぎたら、社会は無秩序になるだろう」が用いられる(これらは公的なアジア的価値観で、私的なアジア的価値観には別途尺度がある)。
 図2に示した2つの散布図から、アジア的価値観の強い国で統治の不安が低いことが明瞭に見えるだろう1。日本はアジア的価値観の二次元はいずれも弱く(◆で表示)、垂直性強調ではオーストラリアに次いで下から二番目、調和志向ではオーストラリア、韓国に次いで下から三番目に位置している。
 一方、国の民主主義度(フリーダムハウススコアによる)が高いほど統治の不安が高くなるのはかなり明瞭である(図3:香港、オーストラリア、スリランカを除くとさらに明瞭である)。日本も民主主義度が高いにも関わらず統治の不安が高いという点で典型的な民主主義国である。
 では、図2図3の関連性が持つ含意は何だろうか。
 パットナムの社会関係資本論と民主主義の著名な研究から分かるように(Putnam, 1993)、リベラルな民主主義のアイデアは、アジア的価値観にみる垂直的な関係性の強調よりは水平的なネットワークの中での熟議を強調し、また調和的な志向よりは異なる立場の間の能動的な議論を求める。ということは、アジア的価値観が強ければ将来の統治の不安は軽減される事実が図から見られる一方で、この価値観は民主的な統治の観念とはバッティングする。民主主義的な統治を支持し、そのプラクティスに関与することで将来に対する統治の不安を下げ、明るい将来を見たい、というのがリベラル・デモクラシーの望む姿であろう。しかしここでの図3はその逆を示している。アジア的価値観を持ちながら民主主義を実践し、かつ明るい将来を期待することは可能なのか。あるいは民主的な統治とは将来の政治に対する統治の不安に耐えることを実践するものなのか、検討の要があるゆえんである。また図上の日本の位置を見ると、日本人はアジア的価値観の両次元とも弱い位置にいることを見てきた。それゆえに日本人の統治の不安は高く、将来の政治に悲観的となるのか、という点も検討に値しよう。

図2 アジア的価値観と統治の不安代理指標との国別平均散布図


図3 フリーダムハウススコアと統治の不安代理指標国別平均値との散布図

1 次の国・地域のデータを用いている(括弧内は図2,3での略字):日本(JP)、香港(HK)、韓国(SK)、中国(CN)、モンゴル(MO)、フィリピン(PH)、台湾(TW)、タイ(TH)、インドネシア(ID)、シンガポール(SG)、ベトナム(VN)、カンボジア(CB)、マレーシア(ML)、ミャンマー(MY)、オーストラリア(AU)。図では他にスリランカ(LK)とバングラデシュ(BD)が表示されているが、4節以下の分析には用いられない(1回しか測定されていないため)。
なお第6回調査はまだ全参加国のデータが利用できる段階ではなく、分析可能なのは10カ国に留まる。



4.統治の不安を左右するアジア的価値観:統治の不安を従属変数とする分析
 以下の分析では、country-fixed effectsモデルとして知られる、国ごとの効果を考慮しうる回帰分析手法を用いる。QOL研究の分野でしばしば用いられるものである。
 分析にあたってはABS3~ABS6で二度以上統治の不安の代替指標が測定された15カ国を対象とし(全て全国面接調査。分析に用いた全変数が揃うのは51サーベイ)、アジア的価値観の差異とともに何が統治の不安や民主主義の選択を左右するかを見ていく。主要な独立変数はアジア的価値観(垂直性強調、調和志向)、自国の民主的な統治度の認識、自国の民主主義適合度認識、制度信頼(首相、内閣、政党、国会、行政機関、裁判所、自衛隊等への信頼の尺度)、政治的寛容性、内的/外的政治的効力感(市民のエンパワーメント意識)、デモグラフィック変数などの個人要因の他、一人あたりGDP、フリーダムハウススコア(民主主義の年別国別指標)をマクロ変数としてコントロールした。結果の統計表は民主主義の選好の分析を含めて表1に示し、国別の効果に関しては計算結果を事後シミュレーションした図を提示していこう。
 まず、散布図の結果と一貫するように、個票データの分析で他の要因をコントロールした上でも図4で見るように、二次元のアジア的価値観が強まるにつれて全般的に統治の不安は低下する。国ごとの効果を見ると、垂直性強調では大半の国が日本より負の効果が強いが (例外的に韓国、中国との差はなく、オーストラリアははるかに弱い)、それでも日本人においても垂直性強調を肯定するほど統治の不安が下がる。また調和志向では日本の負効果が最大レベルに近い(香港が負値最大)。日本人のアジア的価値観の支持度は散布図で見たように、いずれの次元も日本人の平均値は最も左側の方に位置しており、両次元とも絶対値では最弱に近いにも関わらず、日本も他の多くのアジア諸国と共通にアジア的価値観のインパクトを受けていることが見える。
 なお、他の独立変数の効果として(表1左側)、GDPやフリーダムハウス指数の効果は見られなかった。このことは、統治の不安はマクロな文脈の効果ではなく、個人の認識の効果であることを示している。マイクロな個人レベルでは、自国の民主的統治度認知、自国の民主主義適合度の認知、制度信頼がいずれも統治の不安を大きく下げる点で、統治の不安は国の民主的統治の評価と国の制度信頼の関数であった。さらに政治的寛容性、外的政治的効力感が統治の不安を下げるのは社会関係資本論と一貫する結果であった。デモグラフィック要因では若いほど不安が低い傾向がある程度である。

表1 統治の不安、民主主義の選好の規定要因


図4 統治の不安の規定要因としてのアジア的価値観(公的価値垂直性強調(左)と公的価値調和志向(右))の効果


図5 民主主義選好の規定要因としてのアジア的価値観(公的価値垂直性強調(左)と公的価値調和志向(右))の効果


5.民主主義の選好とアジア的価値観
 次に、民主主義の選好を従属変数とした結果を表1右側と図5に示す。図からは他の要因をコントロールした上で、ABSで全般的に垂直性強調と調和志向の二次元が民主主義の選好にマイナスの効果を持つことが見える。ただし後者の次元では例外も多く、マレーシアやインドネシア、フィリピンなどでは調和志向が民主主義の選択に結びつく様相を示している。他方、垂直性強調が民主主義の選択に結びついているのはほぼシンガポールのみである。
 日本では、アジア的価値観の両次元の効果は強く、垂直性強調でも調和志向でもアジア的価値観を強く持つと民主主義の選好度が大きく減少する。全体として日本を含めた多くの国でリベラルな民主主義とアジア的価値観の2次元との両立が難しいことを裏付けている。
 他の要因に目を転じると、マクロな指標であるGDPやフリーダムハウス指数の効果は見られない。マイクロな個人の要因では自国の民主的統治度認知、民主主義適合度認知が民主主義の選好と一貫している。デモグラフィック要因では、年長ほど、また教育程度が高い方が民主主義の選好度が高かった。

6.民主的統治度認知×垂直性強調×国の交互作用効果
 次なる分析の方向として、自国が民主的にどの程度統治されているかの受け止め方によって統治の不安が変化したり、民主主義の選好が左右されるかどうかを検討しよう。
 まず、民主的統治度認知×垂直性強調×国の交互作用効果を検討したところ、2点が明らかとなった。民主的統治度認知の強弱によって効果の違いを図示してわかりやすくしよう(表は省略)。
 第一の発見は、民主的統治度認知が高いと(図6右)、ABSでは全体としては垂直性を強調するほど統治の不安が高くなる点である(統計的に有意)。逆から見れば、民主的によく統治されていると認識し、かつ垂直性強調価値観を持たないと(値が低いと)、統治の不安が下がるのである。この点はリベラルな民主主義が統治に対する信頼を醸成するという解釈が可能だろう。たとえば日本やオーストラリア、韓国、香港2に当てはまる。だが他国を見ると逆のケースも少なくない。たとえばベトナムやフィリピン、モンゴルでは民主的統治度認知が高く垂直性強調が強いと統治の不安が下がる。
 第二に、国が民主的に統治されていないと考える人々では垂直強調の効果が統治の不安を大きく下げることが大半の国で明瞭である(図6左)。逆から見れば、上下関係を重視して権威主義的志向を持たない、つまりアジア的価値観が弱いと、不安が増大する。換言すれば、民主的に統治されていないと判断する人々では、権威主義的に支配することが統治の不安を抑制すると認識する。既に述べたように、日本人の垂直性強調はアジアの中では最低レベルなので、多数派の日本人が権威主義的な支配を容認するわけではないが、日本人においても国の民主的な統治に疑問を持つときに、アジア的価値観が統治の不安を抑制するという傾向が他のアジア諸国と同様に見て取れる。

図6 統治の不安の規定要因としてのアジア的価値観(公的価値垂直性強調)と民主的統治度認知の交互作用効果

2 香港のデータは2021年のデータとそれ以前のデータを含んでおり、解釈は別途なされるべきである。香港国家安全維持法の施行は2020年7月であった。



7.民主的統治度認知×調和志向×国の交互作用効果
 図7は、アジア的価値観の調和志向について交互作用効果の分析結果である。ここでも垂直性強調と同様の結果を示している。日本や韓国やオーストラリアでは民主的統治度認知が高い条件下では、調和志向の負の効果は抑えられている。一方、民主的統治度認知が低い条件下では、調和志向が統治の不安を抑制するという逆方向の効果を示した。換言すれば異なる意見の噴出を許すことは、民主的統治度が弱いと受け止められている場合には社会の将来に悲観的になるという認識である。
 なお、中国は統治度認知が低いときに垂直性強調や調和志向が統治の不安を下げる点で日本とも共通していた。しかし統治度認知が高い場合には調和志向で日本と同方向である一方で、垂直性強調では逆、つまり権威主義的な支配が不安を下げていた。

図7 統治の不安の規定要因としてのアジア的価値観(公的価値調和志向)と民主的統治度認知の交互作用効果


8.民主主義の選好を従属変数とする
 民主主義の選好についても統治の不安と同様に民主的統治度認知との交互作用を検討した。図8図9が示すように、民主主義の選好に関しては垂直性強調についても調和志向についても、民主的統治度認知の高低によって大きな差異は見えにくかった。調和志向と民主的統治度認知の交互作用効果は有意でなかった。垂直性強調と民主的統治度認知の交互作用は全体として有意で、民主的統治度認知の高いところでは垂直性強調が弱いほど民主主義の選好を高める効果はより明瞭に観察されるものの、日本に関しては、民主的統治度認知の高低のいずれの場合にも、アジア的価値観の両次元ともが民主主義の選好を弱化させる傾向が明瞭であった。他国では、シンガポールや香港で民主的統治度認知が高いときに垂直性強調や調和志向が民主主義の選好を高める効果はあったものの、多くの国では差異はそれほど明瞭ではなかった。
 全体として統治の不安に対しては民主主義的統治度認知とアジア的価値観の間に交互作用が見られる一方、民主主義の選好に関してはそうした交互作用効果はそれほど明瞭ではなかった。

図8 民主主義選好の規定要因としてのアジア的価値観(公的価値垂直性強調)と民主的統治度認知の交互作用効果


図9 民主主義選好の規定要因としてのアジア的価値観(公的価値調和志向 )と民主的統治度認知の交互作用効果


9.民主主義の選好と統治の不安
 これまで2つの従属変数を別々に扱ってきたが、統治の不安が民主主義の選好に対してネガティブに作用する可能性についてはまだ検討していない。民主主義の選好を目的変数とするとき、統治の不安を独立変数に加えてこれを検討しよう。現実の政治のプロセスの流れの中で、国の将来を憂慮したり(憂国である)、将来の統治が不安定となるとの主張を大義名分にしたクーデターや独裁政治の断行が生じうることを考えれば、個々の市民の統治の不安が民主主義の選好にインパクトをもたらしても不思議ではあるまい。
 分析の結果は(図表なし)、統治の不安が民主主義の選好を下げる効果を持つことを示した。その効果は民主的統治度認知や民主主義適合度認識をコントロールしても有意であった。
 さらにその上で、アジア的価値観×統治の不安の交互作用効果を投入して、価値観がもたらしうるインパクトを検討したが、価値観のいずれの次元においても統治の不安の強弱にかかわらず、アジア的価値観が強いと民主主義の選好が低下することを示し、両者は独立していることが判明した。

10.アジア的価値観の持つ意味について
 以上から、民主的統治の度合いの認識によって統治の不安に対する価値観の効果が異なる一方、民主主義の選好に対しては統治度認知でも統治の不安でも価値観の効果とは独立していた。このことは、アジア的価値観が統治のあり方(統治の有効性/信頼度)に対して強く関わりを持つことを示しているのではないかと思われる。垂直性強調や調和志向は統治の実践的プロセスの中でこそスイッチが入るのである。その含意は何だろうか。
 日本を具体例に考えよう。日本では7割ほどの多数派がリベラルな民主主義を強く選好しながらも、民主的統治度が十分でないと認識する市民では統治の不安の軽減が反リベラルな価値によって支えられていた。このことは、現在の社会の民主的な統治を評価しない人々では、アジア的価値観支持が統治の不安を下げるため、アジア的価値観をよりどころにした統治を強調する可能性を示している。そうした統治はリベラルな民主主義には不適合な可能性があるだろう。日本ではそれらの人々は少数派ではあるが、民主主義の観点からはジレンマとなりうる。
 これらの人々の特性を政党との関連で見ると、政権政党の自民党投票者(投票者の約4割)に多い。自民党を支持するほど統治の不安が低い上に(これは自然だろう。自民党投票者では統治の不安は非自民投票者より0.4ポイント低い)、彼らはアジア的価値観の垂直性強調も調和志向も強い。じっさい、ABS6の日本データで自民党投票者にどれだけ垂直性強調、調和志向が多いかをチェックしたところ、垂直性強調でも調和志向でもその上位第一五分位にある回答者の内、自民党投票者は2/3を占める一方、下位第一五分位の自民党投票者は1/3であった。また、自民党投票者の率は垂直性強調と調和志向の双方で五分位のランク通り単調に増加していた。
 つまり、政権担当政党の主要なコア支持層において、国が民主的に統治されていると認識すればその価値観の負の効果も出にくいが、うまく統治されていないと認識すると、アジア的価値観に含意される抑圧的な志向性を通じて不安を下げようとする方向性が表面化する可能性があるのではないだろうか。彼らがアジアの強権国家の現在の政治のアプローチと紙一重のコア支持層とならないために何が違う必要があるのか、考える必要があるだろう。
 次回(9月号を予定)は、筆者が開発した「統治の不安」尺度を日本データで分析し、それが持つ含意を見ていきたい。

引用文献
池田謙一・竹本圭佑(2018). 東アジアにおける階層的なソーシャルネットワークがもたらす勢力の検討、スティール・ジル 浅野正彦編 現代日本社会の権力構造、北大路書房.Pp.195-219.
池田謙一(2019). 統治の不安と日本政治のリアリティ:政権交代前後の底流と国際比較文脈、木鐸社.
Ikeda, Ken'ichi (2022). Contemporary Japanese Politics and AnxietyOver Governance,Routledge.
池田謙一(2024). 国際比較調査に関わった40年の顛末の記:アジアンバロメータ調査を中心に、選挙研究, 39(2), 9-17.
Putnam,Robert D.(1993).Making Democracy Work:Civic Traditions in Modern Italy.Princeton University Press.