小渕内閣支持率の推移
1998年7月30日、橋本内閣の後を受けて発足した小渕内閣も、1999年末にははや17ヵ月を迎えた。この間の推移を、発足時に遡り、「時事世論調査」(全国20歳以上の男女2,000人を対象に時事通信社が行う月例世論調査。毎月10日前後に調査員による面接聴取法で実施し、回収率は70%前後)の内閣支持率・不支持率、および公明党支持者における内閣支持率の結果からみてみる。
1.内閣支持率・不支持率
参院選の惨敗の中からスタートした小渕内閣の支持率は、発足時(1998年8月)こそ24.8%と宇野内閣(19.5%)に次ぐ歴代第2位の低さだったものの、1998年11月(19.4%)を底に1999年8月(43.3%)まで9カ月間上昇し続けた。1999年4月(33.1%)には30%を、東証平均株価が1年9カ月ぶりに18,000円台を回復(7/5)した直後の1999年7月(42.0%)には初めて40%を超え、自民党総裁選での圧勝(9/21)を受けた1999年10月には47.6%と前橋本内閣の最高支持率(46.8%)を超えるまでになった。しかし、西村防衛政務次官の辞任(10/20)や連立政権内のごたごたで翌11月には前月を10ポイント近く下回って37.3%となり、12月(38.0%)も戻ることはなかった。
一方、不支持率は、歴代内閣最悪の45.6%でスタートしたものの、1998年11月(54.7%)より支持率の上昇に伴って下がり続け、1999年5月には支持率(38.2%)が不支持率(31.7%)を初めて上回った。最高支持率を出した1999年10月には、不支持率が最低の26.5%にまでなり、支持率との差も21.1ポイントになった。しかし、翌11月には33.4%、12月には36.3%となり、支持率との差も12月には1.7ポイント差にまで縮まった(図1、表1)。

(表1)小渕内閣支持率・不支持率の推移
(1998) |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
支持 |
24.8 |
22.9 |
20.7 |
19.4 |
24.6 |
不支持 |
45.6 |
50.7 |
54.0 |
54.7 |
52.7 |
無回答 |
29.6 |
26.3 |
25.3 |
25.9 |
22.7 |
(1999) |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
支持 |
25.7 |
27.3 |
29.9 |
33.1 |
38.2 |
39.2 |
42.0 |
43.3 |
42.0 |
47.6 |
37.7 |
38.0 |
不支持 |
44.1 |
44.7 |
42.1 |
35.8 |
31.7 |
29.9 |
28.7 |
27.8 |
29.6 |
26.5 |
33.4 |
36.3 |
無回答 |
30.2 |
28.1 |
28.1 |
31.1 |
30.1 |
30.9 |
29.3 |
29.0 |
28.3 |
25.9 |
28.9 |
25.7 |
2.公明党支持者における小渕内閣支持率 参院選惨敗を受けてスタートした小渕内閣の宿命は、結果的にみると、参院での過半数確保であった。昨年10月参院での額賀防衛庁長官に対する問責決議案に公明党が賛成し、同決議案が可決された時に持った“政権の危機感”(佐々木毅東大教授)がそのスタートとなった。自自連立も、それ自体参院での過半数を確保できなかったため、結局は公明党の政権入りのための1つのクッションとなってしまい、自自公連立政権の発足に至った。ここでは、公明党支持者における内閣支持率という違った角度から、小渕内閣支持率をみていくことにする。
公明党が昨年の金融国会、参院での問責決議案への賛成・可決(10/16)と反自民・親野党的立場を取り、公明党支持者の内閣支持率も小渕内閣発足以来4カ月連続15%を下回っていた。しかし、地域振興券支給で自民党と合意(11/10)した翌12月には23.2%と前月の2倍以上になった。自自連立政権が発足(1/14)した1月には小渕内閣発足以来最低の5.0%に下がったものの、翌2月には21.8%と12月の水準に戻った。7月には前月の2倍以上となり、小渕内閣発足以来最高の54.8%となった。国家・国旗法の衆院通過(7/22)、臨時党大会での自自公連立政権参加の方針決定(7/24)後の8月には37.5%に下がったものの、自自公連立政権が発足(10/5)した10月(62.8%)には小渕内閣発足以来の最高支持率を更新した。しかし、西村防衛政務次官の辞任(10/20)等で連立政権がゆれた翌11月には14.6ポイント減の48.2%となったものの、12月には初めて自由党支持者の内閣支持率(50.0%)を10ポイント以上も上回り、61.0%と60%台に戻った(図2、表2)。 (調査部 吉田 渉)
 (表2)小渕内閣支持率の推移(自自公支持別)
(1998) |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
全体 |
24.8 |
22.9 |
20.7 |
19.4 |
24.6 |
自民党 |
63.2 |
59.9 |
54.2 |
54.8 |
64.2 |
公明党 |
13.8 |
14.0 |
14.3 |
9.8 |
23.2 |
自由党 |
21.7 |
27.8 |
11.1 |
37.5 |
22.2 |
(1999) |
1月 |
2月 |
3月 |
4月 |
5月 |
6月 |
7月 |
8月 |
9月 |
10月 |
11月 |
12月 |
全体 |
25.7 |
27.3 |
29.9 |
33.1 |
38.2 |
39.2 |
42.0 |
43.3 |
42.0 |
47.6 |
37.7 |
38.0 |
自民党 |
61.5 |
68.7 |
66.9 |
70.6 |
75.6 |
80.0 |
78.5 |
82.6 |
78.6 |
82.0 |
73.2 |
72.8 |
公明党 |
5.0 |
21.8 |
30.2 |
23.5 |
35.4 |
23.4 |
54.8 |
37.5 |
56.1 |
62.8 |
48.2 |
61.0 |
自由党 |
44.4 |
47.8 |
26.3 |
73.9 |
53.3 |
76.9 |
61.5 |
63.0 |
75.0 |
80.0 |
52.9 |
50.0 |
|