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■「中央調査報(No.553)」より

 ■ 2大政党制時代の幕を開けた衆院選

時事通信社解説委員 田崎史郎


 第43回衆院選は、各党とも勝利感に乏しい結果に終わった。自民、公明、保守新の与党3党は絶対安定多数(269議席)を上回る275議席を獲得し、小泉政権が信任された。とはいえ、自民党の議席は明らかに伸び悩んだ。民主党は、解散時勢力より40議席多い177議席を得て躍進したが、目標議席の200にはとどかなかった。ただ、敗者は議席が半分以下となった共産、社民両党であることは歴然としている。自民、民主両党の合計議席は全体の86%に達し、この衆院選は自・民両党による2大政党時代の幕開けと政治史に記されることになろう。

◆自民、好条件下でも議席伸びず
 今回の衆院選は、小泉純一郎首相が仕組みに仕組んだ末にこの時期に設定された。首相は9月の自民党総裁選と衆院選を絡め、総裁選で「衆院選は誰の顔で戦うつもりなのか」というメッセージを党内に送り、再選のテコとした。かつ、総裁選で盛り上がったムードを衆院選に持ち込むため、総裁選投票から3週間後の10月10日に衆院を解散した。
 首相はまた、総裁選後の内閣改造・党役員人事で、弱冠49歳の安倍晋三氏を幹事長に抜擢するとともに、閣僚の若返りを図った。さらに、日本道路公団の藤井治芳総裁を更迭し、中曽根康弘、宮沢喜一の両元首相を議員引退に追い込んだ。それぞれ理由があるにしても、衆院選を念頭に置き、どうやって有権者の支持を取り付けるかを考えあぐねた末の決断だった。
 この相乗効果で、内閣支持率は10月、時事通信社の定例世論調査で前月と横ばいの49.6%を維持した。前回の衆院選を前にした2000年6月の同社調査で、森内閣の支持率が前月比12.2ポイントも急落した18.2%だったのに比べると、約2.7倍の支持率で選挙に臨んだことになる。小泉政権が終わり、この時期を振り返ると、恐らく政権に発足当初に次ぐ勢いがあったと総括されるに違いない。また、景気動向を実感する最も分かりやすい指標である東証の日経平均株価は1万円台に戻り、景気に明るさが見えてきた。完全失業率、鉱工業生産指数など他の経済指標も、景気回復を裏付ける内容だった。
 選挙戦術の面では、自民、公明の選挙協力が一段と進んだ。
 首相は公示日の10月28日に、公明党のプリンスといわれる太田昭宏氏が立つ東京12区を訪ね、「自民党と公明党が協力しないと選挙には勝てない」と演説。首相はこの後、埼玉6区、神奈川6区、兵庫2、8区、大阪5区の公明党公認候補を次々と回った。公明党の神崎武法代表も自民党候補に積極的にテコ入れし、街頭演説で「比例代表は公明党、選挙区は自民党の○○さん」と呼び掛けた。
 1999年10月に自民、自由、公明3党の連立政権が発足して以降、00年6月の衆院選、01年7月の参院選と二回の国政選挙が行われ、自公が選挙協力したが、今回の衆院選で自公の選挙協力関係が確立した、と言える。
 しかも、衆院選の投票率は前回より2.63ポイント低い59.86%だった。高い内閣支持率に象徴される「小泉・安倍人気」、景気回復の兆し、公明党・創価学会の本格的な選挙協力、低投票率と、自民党は前回とは雲泥の差の好条件の下で衆院選に臨んだ。
 にもかかわらず、自民党の議席は4議席増の237議席にとどまった。これだけ好条件が整えば、議席がもっと伸びていいはずだった。自民党に勝利感がないのはこのためである。

◆自民、比例では勝利した
 ただ、自民党の勝敗は比例代表と小選挙区を分けて考える必要がある。自民党は比例で前回より13議席も増やし、小選挙区では9議席減らしたからだ。まず比例で小選挙区比例代表並立制導入後過去3回の自民党の結果を見てみたい(定数は96年は200、00年と03年は180)。
 得票数でも得票率でも、自民党は過去最高を記録した。民主党が今回2209.6万票、得票率37.4%、72議席と比例第1党となったために、自民党の勝利はその陰に隠れてしまったが、自民党が勝利を収めたことは明らかだ。
 ちなみに、民主、自由両党合計の前回実績は2165.7万票、得票率は36.2%、65議席だった。民主党の得票率の伸びは1.2ポイントにすぎず、自民党の6.7ポイントに比べかなり小幅だ。
 比例代表に見る限り、「民・由合併効果」よりも「小泉・安倍効果」の方が大きかったと言えよう。また、自民党候補者の一部が公明党・学会の協力を得るために、比例は公明党に投票するよう呼び掛けていたことを想起すると、自民党の比例票が伸びた価値はより大きい。

◆小選挙区で自民敗北、民主の議席大幅増
 しかし、小選挙区で、自民党は168議席にとどまり敗退した。かたや、民主党は前回の自由党との合計議席数より21議席多い105議席を獲得し、100の大台に載せた。
 自民党は小選挙区でなぜ負けたのだろう。言い換えるなら、民主党はなぜ20議席以上も議席を伸ばせたのだろう。
 考えられるのはまず、無党派層の動向だ。報道機関が投票所で行う「出口調査」で、無党派層の5割強が民主党に投票したと答えている。これに対し、自民党は2割程度にとどまった。
 確かに、人口集中度が高く無党派層が多いとされる政令指定都市で自民党は敗北した。例えば、札幌では5選挙区中4選挙区で、仙台の2選挙区、名古屋の5選挙区、福岡の3選挙区すべてで民主党に議席をさらわれた。また、千葉県では千葉、船橋、市川、松戸、柏各市の8選挙区で自民党は全敗した。
 ただし、東京都で前回の8議席から12議席へ増やし、横浜市でも8選挙区中3選挙区で勝利を収めた。つまり、自民党は都市部で弱いとは断言できないのである。また、無党派層の半分強が民主党に投票する傾向は小選挙区、比例ともに共通しているので、小選挙区で民主党が議席を伸ばした理由としては薄弱だ。
 次に考えられるのが、建設、郵政、医師会、農協などといった自民党の伝統的な支持組織の弱体化だ。比例では「小泉・安倍人気」で民主党に対抗できても、小選挙区では個々の自民党候補の支持団体があまり動かなかったという見方だ。たしかに選挙中、自民党候補から「土建屋が全く動かなくなった」「医師会にお願いしますといっても駄目だった」などとの嘆きが漏れ、自民党組織の衰弱が想像以上に進んでいるとみられる。
 これをある程度補完したのは公明党・創価学会票だった。投票所における「出口調査」によると、公明党支持層の6-7割が自民党候補に投票したと答えた。また、毎日新聞(11月11日付朝刊)の分析によると、公明党が比例代表で獲得した票を小選挙区ごとに集計し直し、自民党候補の得票から差し引いた場合、当選した自民党候補168人のうち半分の81人が落選し、公明党票の流入が半分にとどまった場合でも42人が落選したことになる。
 一方、民主党の最大の勝因は、選挙直前に旧自由党と合併し、自民党との「政権選択選挙」に持ち込んだことだ。自民党政権への不満を吸収する受け皿となり、共産、社民両党に流れていた政権批判票を吸収するとともに、自民党との対決構図をつくった。
 また、民主党には旧自由党と候補者を一本化した効果が表れた。前回、民主と旧自由の候補が共倒れし、かつその合計票が自民党を上回り、対立構図が前回とほぼ同じだった10選挙区を見ると、自民党5勝(東京10、11区など)、民主党5勝(新潟4区、神奈川7区など)と分けた。自民党が踏ん張ったとはいえ、民・由合併の効果は一定程度上がったと見るべきだろう。


◆スキャンダル、族議員が次々落選
 ただ、小選挙区を分析する場合、それぞれの選挙区事情、候補者の資質など個別具体的なことに目を向けるべきではなかろうか。
 自民党で落選した議員を見ると、スキャンダルを抱えているか、特定の分野だけに強い「族議員」だった候補か、あるいは区割り変更に伴って地盤が割れた候補か―のいずれかに大別される。
 山崎拓自民党前副総裁や太田誠一元総務庁長官らはスキャンダルを抱えた部類に属し、「族議員」では税制・金融の相沢英之氏、郵政の荒井広幸氏、建設の村岡兼造、栗原博久氏、農政の松岡利勝氏らが落選した。比例で復活した松岡氏を除き、比例のセーフティーネットにも引っ掛からない負け方だった。
 小泉首相は投開票日翌日の記者会見で選挙戦をこう総括した。
 「今後、候補者の選定にも一考を要する点もあると思う。特に小選挙区では一番多い層で共感を得ることができない候補者は当選できない状況となってきたのではないか。中選挙区制の時代は何割かの票で当選できたが、過半数の支持を得ないと当選できない小選挙区制の時代は無党派層の共感を得ないと勝てない。支持団体を固めていけばいいという時代ではない」
 この指摘のように、自民党が無党派層からも支持される候補者を立てるならば、民主党の追撃をかわして政権を維持し続けることができるだろう。民主党は一人ひとりが地盤を固める一方、政権を担い得るような安心感を国民に与えることができれば、次期衆院選で政権を獲得できることも夢ではなくなった。民主党が今回、政権奪取の足場を築いたのは間違いない。

◆小泉政権、公明党対策が最大の課題
 ただ、これから約3年余は自民党主導の政権が続く。自民党は今回の選挙結果を見て政権喪失の可能性を実感し、衆院解散に慎重にならざるを得ないからだ。次期衆院選は恐らく、06年9月の自民党総裁選後から07年11月の衆院議員任期満了までの間にずれ込み、小泉首相からバトンを受けた新首相が衆院解散を行うことになろう。
 先の衆院選を受けて、小泉政権の動向を占うなら、公明党の影響力が増すのは必至だ。自民党の選挙は公明党・創価学会の支援なくして成り立たず、選挙直後には保守新党が自民党に合流し、自民、公明両党が直接結びつく連立政権となったためだ。
 2党だけになれば意思決定は早くなる。しかし、緩衝材もなく直接ぶつかるケースが想定される上に、自公間の政策面の乖離も決して小さくはない。
 まず、今年暮れには年金改革で両党の対立が予想される。教育基本法の改正では立場が異なる上に、憲法改正問題で自民党は政権公約に「2005年に憲法草案をまとめ、国民的議論を展開する」と明記した。これに対し、公明党はマニフェストで「国民主権、恒久平和主義、基本的人権の尊重の『憲法3原則』は不変のもの。環境権やプライバシー権などを明記する『加憲』を検討する段階」と述べるにとどまっている。
 また、小泉首相の求心力は、衆院選を終えたことで党側から見て「選挙の顔」としての利用価値が減るため、徐々に下がっていく可能性が高い。その中で、道路公団、郵政の民営化を果たせるかどうか。自民党の政権公約に盛り込まれたこれら改革を果たせないなら、自民党は次期衆院選で有権者からしっぺ返しを受けるに違いない。
 選挙後の世論調査では、今回の衆院選結果を約7割が歓迎し、国民が政権交代可能な2大政党制を期待していることが浮き彫りになった。財界の総本山、日本経団連の奥田碩会長は選挙後の記者会見で「政権が頻繁に交代するのは困るが、一定の時期をおいて政権の交代があってもいい。米国のような2大政党がいいと思っていた」と語り、歓迎した。
 衆院選が終わったことで、自民党総裁選、内閣改造から続いた「政治の季節」は去った。しかし、それは政権獲得をかけた次期衆院選に向けた戦いの始まりでもある。(了)