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■「中央調査報(No.557)」より

 ■ 政治の話はタブーなのか―インターネットユーザーに対する実証分析から―

学習院大学大学院政治学研究科 博士後期課程 岡本 弘基

 「政治」について会話で取り上げることは、感情的摩擦をもたらすので、日常マナーとしては避けた方がよいと一般的に言われている。その一方で、それが政治参加を促進し、民主主義が活性化するという学問上の議論も存在する。そこで、筆者を中心とした「政治とインターネット研究会」は有権者がどの程度政治的話題について忌避意識を持っているかの調査を行った。その概要を紹介する。

1.はじめに
 人が社会において生活をする中で、避けるべきとされる行為がある。それは、法律による禁止行為として明示化されたものである場合もあるし、「エチケット」や「マナー」と呼ばれる非文書化された社会慣習などで規定化されることもある。
 そのエチケットやマナーのなかで、話題に関係するものがある。それは、「政治・宗教・スポーツチームの贔屓については話さない方が良い」と言うものだ。これらのトピックを避けるべきとされるのは、それらが個人の信念や価値基準に深く関係するものであるため、万が一、話し相手の好みが自分のそれと異なった場合、感情的摩擦をもたらす可能性があると考えられるから(Carey:1995、Schudson:1997)だろう
 その一方で、近年の政治学では「政治についての会話」、というものが脚光を浴びている。家族や友人・知人、あるいは会社の同僚などと、政治の会話をすることで、投票に代表される政治参加が促進され、民主主義が活性化するという議論が存在するのである。例えば、Kimら(1999)は1996年に全米で調査を行い、政治についての一般的な会話が政治参加を促進させたとし、Wyattら(2000)は米国人がどれだけ自由に、またどの程度政治を語るのかを検討したところ、政治の会話量が意見の質や参加に正の相関を持つことを明らかにした。さらにScheufele(1999)は、日常会話でなされるマスメディア報道のハードニュース的内容2が、政治参加にプラスの影響を与えるとしている。

1 しかしながら、彼らは特に実証データに基づいて考察したのではないため、観念的な議論に留まるとの批判がされている。(池田:2002)
2 事実主体の硬派なニュースのこと。対義語として、バラエティー要素を盛り込んだソフト参加にプラスの影響を与えるとしている。

2.調査の必要性
 だが、これらの知見は、会話内容に政治的な事柄がハッキリと現れてきたものに対する考察結果である。避けたいと思っているのにもかかわらず、仕方が無くあるトピックについて語る機会を持たねばならぬ状況に陥るというのは、実際の生活上であり得ることだ。例えば、学生時代はノンポリであった人物が、就職後にいきなり労働組合の会合に参加させられて、現政権に対する批判を述べさせられる状況などが考えられる。この様な状況下であっても、政治的会話はなされたことになり、結果として政治参加にプラスの影響が出ることもあるだろう。
 しかし、そこに政治的会話の効用は見いだせるであろうか。無理やりに参加させられた会話から感情的反発を抱き、結果として会話の対象となったトピックについて、心理的な抵抗感がますます強くなるということがあるのではないだろうか。無論、最初は嫌々やっていたことでも、知識がつくようになって、それに興味を持って主体的に取り組むようになると言うことも考えられる。だが、政治の会話の有無についての状況をより精緻に検証するのであれば、それを忌避しようとする有権者の意図を汲み上げる必要があるのではないかと思われる。

3.調査概要
 
そこで、筆者を中心としたグループ(政治とインターネット研究会:JIPS)は、有権者がどの程度政治的話題についての忌避意識を持っているか調査3を行った。調査概要は、以下の通りである。4
 2003年7月1日に、インターネットユーザーに関するサンプルのプール5 220万件から、ランダムサンプリングした全国の男女20歳以上の3万5000人に、受け取り手の事前承諾を得て配信されるダイレクトEメールで今回の調査を告知し、7月4日を締め切りとして、調査協力者を募った。その結果、調査協力の意志を示したユーザーが2092名集まったため、さらにランダムサンプリングを行い、1100名を抽出した。その後、7月8日に調査対象者1100名へ調査票を郵送し、その返送期限を7月18日とした。以上の結果得られた有効回答者数は1025名であった。(回収率93.2%)

3 以下、本調査はJIPS2003と称する。本研究会は、岡本弘基、川上和久、亀ヶ谷雅彦、岡田陽介、寺山賢照で構成された。
4 尚、本調査はインターネットユーザーの政治意識を探ることが主目的であったため、調査対象者はインターネットユーザー(但し、携帯電話からの接続は除く)に限定されている。
5 エルゴブレインズ社のDEメール加入者(http://www.dreammail.ne.jp/)会員

4.調査結果より
 
まず、人々はどのような話題を、誰と話しているときに避けようとしているのかを探ってみた。具体的には、「家族」「友人・知人」「さほど親しくない人」という3パターンの会話状況において15の選択肢から最大で3つを選んでもらう形式にした。表1は、その結果をまとめたものである。
 この結果からは、家族との会話においてはタブーとする話題がない、と回答する人の割合が多く、友人・知人との会話では、宗教問題がトップになり、次いで自宅の経済事情が忌避されている様子が分かる。ただし、「そのような話題はない」とする回答者も3割近く存在する。さほど親しくない人との会話においては、「自宅の経済事情」と「宗教問題」がほぼ同率で忌避されていることがわかった。
 また、興味深いことに、「国の政治」トピックは、「宗教問題」や「自宅の経済事情」ほどには強いタブー感があるわけではないことがわかる。さらに、友人・知人とさほど親しくない人との会話における忌避話題の出現パターンに注目すると、それら類似した構造であることが指摘できる。心理的距離が相対的に近いと推測される友人・知人との会話においても、気を使って話をしている様子が伺える。
表1


 なぜその話題を忌避しようとするのか、表2を見てみよう。この話題忌避の理由も、忌避するトピックと同様に、最大3つまでの複数回答で尋ねているため、%計は100%を超えている。
 この表からは、国の政治が話題として避けられているのは、主として「楽しくないから」(家族/友人・知人で1位、さほど親しくない人で3位)、「話す必要がないから」(家族で2位、友人・知人で3位、さほど親しくない人で2位)、「縁遠い話しだから」(家族=3位、友人・知人=4位、さほど親しくない人=5位)という理由であることがわかる。これらが上位に来るのは、政治に対して距離感を持っているからと推測することが可能である。
 そして、「人を傷つけそうだから」という忌避理由の順位が、家族(4位)→友人・知人(2位)→さほど親しくない人(1位)と上がっていることがわかる。これは他人との会話において価値摩擦・対立を避けようする姿の現れであり、Schudson(1997)の「政治的な話題は、人間関係に摩擦をうむ可能性があるために、人々は政治の話題をタブーとする」という説を実証することが出来たと言えるだろう。
表2

 ところで、実際に人々はどのようなトピックを話しているのだろうか。それをまとめたのが、表3である。
表3


 さて、これらの話題が選択される理由は、どのようなものであろうか。被験者には、話題として忌避されるものと同様に、その理由を1つの話題について最大で3つまで回答してもらった。本節で特に分析対象とするのは、話題として取り上げられるもののうち、上位にあがっていた「芸能・テレビ」(表4)と、それと比較対象するための「国の政治」(表5)である。

表4
表5

 良く会話に取り上げられる「芸能・テレビ」トピックにおいて、そのピックアップの理由を見ると、「身近なことだから」「好きなことだから/楽しいから」があげられていることがわかる。(表4)
 しかし、さほど親しくない人との会話においては、何よりも「当たりさわりがない」ということが優先されていることが明らかとなった。その一方で、家族や友人・知人といった親しい人たちとの会話では、「議論が出来るから」その話題を取り上げた、と答える人がある程度存在することも確認出来、価値摩擦について気を使う必要がなく、自由に意見を交換している姿を推測することが出来るだろう。
 この姿は話題の忌避で明らかとなった、友人・知人との会話においても、さほど親しくない人と同様の理由で価値摩擦を避けている人々の姿とは矛盾しているように見える。が、忌避される話題は「政治」や宗教といったよりプライベートな価値観に触れる話題であることが多い(表1)。これに対し、テレビや芸能関係の話は、政治・宗教などと比較して個人の信念との関わりが薄いために、議論を「楽しむ」環境にあるのではないかと考えることが可能だ。
 しかし、議論を避けずにいるという傾向は、国の政治を話題として取り上げるときも見られる(表5)ことが明らかとなった。話題の取り上げられ方の実態と併せて考えると、人々の会話において「国の政治」が取り上げられることは少ないが、それが話題としてのぼるときには、いろいろな意見を交わしているということであろう。
 また、国の政治は、友人達との会話を除いては「楽しい」という理由で取り上げられることは少なく、「身近」で「当たりさわりがない」トピックとして選ばれていることも明らかとなった。(表5)
 つまり、政治についての話は、いろいろな意見を交わすことが出来るものとして比較的積極的に話題に取り上げられる場合と、当たりさわりのない、一般的なニュースとして会話に取り上げられる場合がある、という両面性を指摘することが出来るのである。
 最後に、人々が忌避したいと考えている政治トピックが、実際に忌避されているのかを検討する。この検証においては、忌避したいトピックを0/1のダミー変数とし、同時に話題として取り上げられているトピックも0/1のダミー変数化し、それぞれの相関性についてファイ係数で分析を行った。
 その結果、家族や友人・知人との会話における「国の政治」(家族=-0.118:0.1%水準、友人・知人=-0.110:0.1%水準)に負の有意な関連が認められたのである。
 即ち、これらの結果は、忌避したいと思う話題が実際の会話に取り上げられていないことを示している。逆に、さほど知らない人との会話においては、避けたいと思っている「国の政治」の話題が、当たりさわりのなさ等の理由によって、実際の会話ではなされている可能性を示唆しているのである。

5.まとめ
 
まず、人々が政治に関して語ることを忌避しているのかについては、「忌避されているのは確かであるが、それは宗教問題や自宅の経済事情ほどの強いタブー感はない」と言える。また、政治の話題が忌避される理由としては、「楽しくない」「話す必要がない」という政治そのものに対する非積極的な価値観と、「人を傷つけたくない」という価値摩擦を避けようとしていることが影響していることが明らかとなった。
 一方、政治について人々が語るときには―その頻度は実際には少ないが―、「当たりさわりがない」「身近である」といった、消極的な理由によって会話中に取り上げられることも多いことが明らかになった。この場合は、恐らく価値摩擦を起こしにくい、表面的な会話になっている可能性が高いと推測される。
 しかし、「議論が出来るから」という理由で政治が語られる傾向も見られており、一部では「政治的対話」を行おうという有権者の姿を観察することが出来たと言えるだろう。政治離れが言われて久しい昨今であるが、「当たりさわりのない」話題としての政治トピックを、いかにして民主主義の母胎である政治的対話(Dewey:1927、Habermas:1974、Ackerman:1989)へとつなげていくか6、またそれが真に政治参加を促進させる要因となっているのかを観察していくのは、今後の課題であろう。

6 但し、このような格式張った「政治的対話」ではない日常的会話が、政治参加には重要であるという見地もある。(Huckfeldt&Sprague:1995、池田:2000)

参考・引用文献
Ackerman,B.1989"Why dialogue?",Journal of Philosophy,(86),p5-22
Carey,J.1995"Thepress,publicopinion,and public discourse",in Glasser,T.&C.Salmon(Eds.),Public Opinion and the communications of consent,New York;Guilford,p373-402
Dewey,J. 1927 The public and its problems,New York;Guilford
Habermas,Jurgen1974 "The public sphere",New German Critique,1,p44-55
Hackfeldt,R.and John Sprague1995 Citizens,politics,and social communication,Cambridge University Press.
池田謙一 2000『コミュニケーション』、東京大学出版会
池田謙一 2002「2000年衆議院選挙における社会関係資本とコミュニケーション」日本選挙学会年報『選挙研究』第17号、木鐸社、p5-18
Kim,Joohan,Robert O.Wyatt and Elihu Katz1999"News,talk,opinion,participation.",Political Communication,16,p361-385
Schudson,Michel1997"Why Conversation is Not the Soul of Democracy",Critical Studies in Mass Communication,14,p297-309
Scheufele,DietramA.1999"Deliberation or dispute?",International Journal of Public Opinion Research,11,p25-58
Wyatt,Robert O.,Elihu Katz,and Kim Joohan 2000"Bridging the spheres:Political and personal conversation in public and private spaces.",Journal of Communication,50,p71-92