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■「中央調査報(No.559)」より

 ■ 時事世論調査に見る小泉内閣の特徴

時事通信社政治部選挙班長  平間 俊行

 2001年、国民の熱狂的な歓迎を受けてスタートした小泉内閣は、発足4年目に入った。戦後では歴代6位の長期政権。内閣支持率が80%近くにまで達した当初の小泉ブームが去ったとはいえ、依然として40%を超える高水準を保ち続けている。しかし、高い内閣支持率の中身をつぶさに見ていくと、他の内閣にはない特異性の一方、無党派層からの分厚い支持を受けているという一般的なイメージとのギャップにも気づく。時事通信社の月例世論調査結果をもとに、歴代内閣と比較しながら小泉内閣の支持率の実態を探った。
 この間の推移を、発足時に遡り、「時事世論調査」(全国20歳以上の男女2,000人を対象に時事通信社が行う月例世論調査。毎月10日前後に調査員による面接聴取法で実施し、回収率は70%前後)の内閣支持率・不支持率、および内閣支持理由・不支持理由等の結果からみてみる。

◆意外に高い不支持率
 時事通信社の月例世論調査は、1960年7月の池田内閣発足以来、毎月第2土曜日と日曜日を含む4日間、一貫して調査員による個別面接聴取法によって実施してきた。電話や緊急調査を含む各種調査とは異なり、調査方法を変更していない点で経年比較には最も適した統計と言える。
 44年間という長期にわたる調査の中で、支持率の平均が40%を上回ったのは、対象19内閣のうちわずか5つにすぎない。その中でも小泉内閣は、池田41・0%、中曽根40・7%、海部43・1%の3内閣を大きく上回る50・7%。平均支持率59・0%の細川内閣に次ぐ歴代2位だ。しかも、わずか8カ月で終わった細川内閣の4倍の在任期間を経過していることを考えると、かなりの高水準と言える。
 ただ、3年間の支持率の推移を示した(図1)のグラフにあるように、2002年1月の田中真紀子外相(当時)の更迭を境に、その前後でグラフはまったく違う傾向を示している。それ以前の上下に張り付いた軌跡に比べ、02年2月以降の支持率は概ね40~50%を中心に推移している。しかも、支持率の山が高くなっているのは02年9月の電撃的な北朝鮮訪問と、03年9月の自民党総裁選後、安倍晋三幹事長を起用した2つの「サプライズ」があった時期に合致する。後者については、その後に衆院解散・総選挙が実施されたことも支持率を押し上げたと要因と考えられる。つまり、「サプライズ」や何らかの「イベント」を契機に支持率は上昇カーブを描き、その後、下降局面に入るというサイクルを繰り返して現在に至っている。
 小泉内閣の支持率の平均は、急落以降に限定すれば44・4%に落ちる。ブームの時の「貯金」が、全期間の平均値を6ポイント以上も押し上げている計算だ。そこで、今の小泉内閣の実像に迫るため、02年2月以降を切り離して分析してみると、そこには意外なほどの不支持率の高さが見て取れる。
 02年2月から04年4月まで、小泉内閣の各月の支持率と不支持率の差、つまり支持と不支持の開き具合の平均値をはじき出すと、10・0ポイントとなる。同様の計算を他の高支持率内閣の全期間を対象に行うと、開きが大きい順に細川39・1ポイント、池田13・2ポイント、海部11・5ポイント、中曽根7・3ポイントとなる。支持率が急落した後の小泉内閣は5内閣中、4番目になってしまう。
 発足3年を経ても、なお40%台の支持率を維持しているのは驚異的ではあるが、「貯金」がなければとりたてて突出した印象はなく、今は平均的な高支持率内閣になったとも言える。むしろ、支持、不支持率がともに高いのが特徴で、「サプライズ」による引き上げ効果がなければ、不支持が支持に接近していくというもろさすら感じられる。

 (図1)

◆リーダーシップへの高い評価
 では、小泉内閣はどんな点で国民の評価を受けているのだろうか。
 月例世論調査での内閣を支持する理由についての設問は、93年9月に現在の選択肢に改められた。それは①首相を信頼する②他に適当な人がいない③だれでも同じ④リーダーシップがある⑤政策がよい⑥印象がよい⑦首相の属する党を支持している⑧連立内閣だから⑨なんとなく-の9つ。(表1)(表2)の表は、この9つの選択肢での調査の対象となった7つの内閣について、毎月の調査ごとに上位3位(同率の場合は4位)までの支持理由を網掛けで示したものだ。いずれの内閣でも3位以内に入ったことのない選択肢は除外した。この表をもとに、各内閣の支持理由を比較してみたい。
 まず、「印象がよい」が支持理由の上位3位以内になったことがあるのは、6つの内閣。このうち、橋本内閣は発足直後の時期に集中しており、小渕内閣は2回にすぎない。これを除くと、在任期間中に何度も、多くの人が「印象がよい」を挙げているのは細川、村山、小泉の3内閣。調査対象となった2回とも、「印象がよい」とされた羽田内閣を含め、小泉内閣以外はいずれも自民党以外の首相だ。
 細川内閣は8党派による「ガラス細工」と言われ、この後を受けたのが発足時に社会党が連立を離脱した羽田内閣。そして、村山内閣も自社さ3党間の徹底した政策調整の上に成り立った内閣だ。いずれも、首相のトップダウンによる政権運営とは程遠い内閣だ。「印象がよい」には、非自民の首相と、ボトムアップによる政権運営という共通項がある。
 これに対し、小泉内閣の際立った特徴は「印象がよい」とともに、支持理由として「リーダーシップがある」を挙げる人が多いことだ。これは、小泉内閣だけに見られる特徴で、他の内閣では唯一、財政構造改革をはじめ6大改革を掲げた橋本内閣で、発足直後に3位になった例があるだけだ。
 非自民の首相による内閣との共通項を持ちながら、国民に「リーダーシップ」をも感じさせる小泉内閣は、過去に例のない異質な存在だと言えよう。ただ、「リーダーシップ」と「印象がよい」は、小泉ブームの時期には同時に支持理由の3位以内に入っていたが、その後は交代で登場している。「リーダーシップ」が評価されるのは、内閣支持率が上昇に転じるのと同様、やはり「サプライズ」があったタイミングに限られる。昨年10月の調査以降、「リーダーシップ」が3位のまま推移しているが、この傾向がいつ変わるのかが今後の注目点の1つになるだろう。
 さて、小泉内閣は、02年2月以来、2年以上も「他に適当な人がいない」が支持理由のトップを占めている。しかし、これはどの内閣にも共通した傾向。小泉内閣を含め、いずれも「首相を信頼する」と「他に適当な人がいない」が支持理由の「二枚看板」だ。ただし、他の内閣では頻繁に登場する「だれでも同じ」が、小泉内閣では支持理由の上位にはほとんど入らないという違いがある。
 「他に適当な人がいない」という消極的な支持が多いように見えるが、だれがなっても同じと思っているわけではない―。やはり過去の内閣には見ることができない特異性を小泉内閣は有している。

表1-1
表1-2

表2-1
表2-2

◆減少する無党派層の貢献度
 (図2)は、調査ごとに小泉内閣を支持する人を支持政党別に割合を計算し、そのうち自民党支持者と無党派層(支持政党なし)だけを取り出して相対比較したグラフだ。つまり、グラフの折れ線が上にあるときは自民党支持者が、下にある時は無党派層が内閣支持率に占める重みが大きく、貢献度が高い。
 3年前の前回参院選直後と、昨年11月の衆院選時に自民党支持層の重みが増しているが、多くの期間で無党派層が小泉内閣を支える最大勢力であることが分かる。
 しかし、衆院選後はその傾向に明確な変化が起きている。自民党支持者と無党派層の重みはきっこうし、グラフが下に戻らないまま推移してきているのだ。自民、公明両党の支持者の合計と無党派層と比べると、この傾向はより顕著になる。昨年11月から今年4月まで、両党の支持者が一貫して無党派層の貢献度を上回り、最新の5月調査でもこの傾向は続いている。無党派層が支える小泉内閣というイメージとは逆に、ここ7カ月間で自民党支持者が無党派層に取って代わり、最大勢力になろうとしている。1ページの図1にあるように、この間、内閣支持率は微増、不支持率は微減していることからしても、自民党支持者の存在感がいよいよ増してきている。小泉内閣を支える支持層は、明らかに変質し始めていると言っていい。
 この半年あまりで何が起きたのか。昨年9月の自民党総裁選で、小泉純一郎首相は同党最大派閥・橋本派を牛耳る青木幹雄参院幹事長の支援を受けて再選を果たした。そして、首相を「独裁者」とまで言い切った野中広務元自民党幹事長の政界引退に象徴されるように、首相と抵抗勢力との確執はすっかり消え失せ、一時は「べたなぎ政局」という言葉すら聞かれた。
 7月の参院選は、国会議員の国民年金未納・未加入問題が広がりを見せる中、投票率はかなり低くなり、組織選挙を得意とする自民党に有利に働くとの観測も出始めている。首相は誰を最大の支持勢力として選挙を戦うことになるのか。小泉内閣と無党派層の関係は、大きな分岐点に差し掛かっている。(了)

図2