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■「中央調査報(No.602)」より

  安倍政権期の内閣支持率と政党支持率

前田 幸男  東京大学大学院情報学環 准教授        
東京大学社会科学研究所 准教授(兼任)


 安倍内閣は2006年9月26日に発足した。安倍晋三首相が翌2007年参議院選挙の顔として、 また小泉前政権の改革路線の継承者として、非常に大きな期待を集めていたことは衆目の一致した 見方であったと思われる。時事通信社の世論調査の結果が比較可能な1960年以降で見ると、発 足時支持率の51.3%という数字は、歴代4位にあたる。発足直後の段階で、安倍内閣が参議院 選挙に歴史的な惨敗を喫し、丁度一年経った 9月25日に総辞職すると予想した人は少なかったの ではないか。安倍政権の内幕については既にジャーナリストの手になる興味深い書籍も刊行されて いるが(上杉、2007年)、本稿では、安倍政権期の政局を考える上で極めて重要な背景であった と思われる世論の動向を、時事世論調査の結果から探ってみたい。

1.歴代内閣との比較
 安倍内閣支持率の特徴を理解するために、まず 歴代内閣の支持率と比較してみたい。表1は池田 内閣から安倍内閣までについて、支持率の特徴を 表す数値を列挙し、平均値の降順に並べ替えたも のである。存続期間が2ヶ月しかない宇野内閣と 羽田内閣があるので、解釈には少し注意を要する が、安倍内閣は平均支持率で歴代8位、最高支 持率は歴代7位、範囲(最高支持率と最低支持率 の差)は歴代6位と、これらの数値だけ取り出し て比較する限りは特に目立つ特徴はない。


表1


 あれだけ新聞各社が世論調査結果を大きく報道 した内閣の支持率に目立った特徴がないというの は読者にとって腑に落ちないかもしれないが、安 倍内閣支持率の特徴は動的な変化に着目すると明 瞭になる。安倍内閣の存続期間は1年、調査回 数でいうと12回だが、これは池田内閣以降では 歴代4位の短さであり、最高支持率から最低支持 率への変化が急激であったところに安倍内閣の特 徴がある。その点を具体的に示すために、表1に は内閣支持率が前月から上昇した月の数(上昇回 数)と前月から下降した月の数(下降回数)を示し ている。調査回数が違うので単純に回数を比較で きないが、安倍内閣は11(=12-1)回の調査中、 下降が8回、上昇が3回と、支持率が低落する 一方であったことがわかる。
 次に内閣支持率がどれだけ急速に下降したかを 理解するために、内閣支持率の範囲を、最高値か ら最低値に変化するまで要した月数で除した数字 を計算した。いわば内閣支持率の下降速度の指 標である。最高支持率が最低支持率よりも後に記 録される福田赳夫内閣、海部内閣、小渕内閣に ついては計算から除外してある。下降速度で見ると 安倍内閣の数字は歴代5位だが、そもそも調査が 2回しかない宇野・羽田両内閣を除くと、安倍内 閣よりも早い速度で内閣支持率が下降したのは竹 下内閣と小泉内閣だけである。ただし、竹下内閣 と小泉内閣の場合、支持率の急速な下降は、内 閣存続期の一局面の特徴に過ぎない。
 竹下内閣は1年7ヶ月間存続したが、最初の 一年間だけ検討すると内閣支持率は33.3%から41.5%を上下動しており、特に大きな変化の傾向 があった訳ではない。成立1年直後の朝日新聞の 調査報道でも「“飛行船型” の竹下人気」(『朝日』 1988年11月19日朝刊)と分析しており、内閣支 持率が漸減しつつも安定的に推移していたことを示 している。竹下内閣の支持率が急速に下降するの は、消費税導入のために行われた税制改革関連 6法案の審議・採決、並びに、政界・官界を広く 巻き込んだリクルート事件の実態が徐々に明らかに なっていったことに起因する。
 一方、小泉内閣の場合は、2001年6月の調 査で最高の78.4%を記録したが、2002年6月の 調査で最低の34.0%を記録している。田中真紀 子外相更迭に伴い2002年1月から2月にかけ て21.3%支持率が下落したことが大きく響いてお り、それ以前の2001年6月から2002年1月まで は高支持率で推移していた。また、2002年6月 に34.0%で底を打った後は、支持率を盛り返すこ とに成功している。小泉内閣が結果として2006年9月まで存続したことを考えると、支持率の急激な 低下は初期の驚異的高支持率から通常の支持率 への厳しい移行過程であったと言える。安倍内閣 は、その存続間中に世論が下降し続けたという点 で、歴代の内閣と大きく異なる。

2.内閣支持率の推移
 では、具体的に安倍内閣支持率の推移を検討 しよう。図1には2006年10月から2007年9月ま での内閣支持率と政党支持率の推移を掲載してい る。過去の拙稿との比較のために無党派の比率は 「支持なし」と「わからない」を合算したものを用 いている(前田、2004年)。グラフを見ると一目瞭 然だが、安倍内閣支持率は07年4月から5月の 時期に一時的に回復したことを除くと、低下の一途 を辿っている。


図1


 詳細に見ると、内閣支持率が大きく低下する局面 が三度有ったことがわかる。最初に内閣支持率が 大きく下落したのは、11月調査(10~13日)から 12月調査(7~10日)にかけてだが、その間に起 きた大きな政治的出来事は郵政民営化法案に反旗 を翻し造反した議員の復党承認である(12月4日)。 造反議員の復党問題は既に9月の自民党総裁選 前後から燻っていたが、復党を最終的に容認したこ とで小泉改革路線からの変節を印象づけてしまった ことが9.5%の支持率下落につながったと思われる。
 12月下旬には相次いで本間政府税調会長と佐 田行革担当大臣が辞任したが、時事調査から見る 限り、内閣支持率への影響は小さかったように見え る。次に内閣支持率が顕著に低下するのは1月調 査(11~14日)から2月調査(9~12日)にか けてである。この時、支持率は5.8%低下している が、大きな影響を与えたと思われるのは、1月28 日に各紙が大きく報道した柳沢厚労相の「産む機 械」発言とそれを巡る安倍首相の対応であろう。
 安倍内閣の支持率は4月調査(12~15日)か ら5月調査(10~13日)にかけて回復軌道に乗 る。憲法改正の手続きを定めた国民投票法の成 立(5月14日)や、教育関連三法の衆議院通過(5月18日)、その他公務員制度改革についても法案 審議が行われるなど安倍首相が力を入れていた保 守色の強い政策が着実に導入されつつあったこと が支持率好転の契機だったようだ。
 ただし、これもつかの間の出来事であり、5月 調査では39.4%あった支持率が、6月調査(8~11日)では28.8%へと10.6%下落した。5月下 旬には5千万件におよぶ宙に浮いた年金記録の存 在が大きく報じられ、かつ、5月28日には松岡農 林水産大臣が自殺している。1960年以降で同一 内閣の支持率が一月で10%以上低下したことは、 安倍内閣の例を含めても13回しかない。年金問 題と現職閣僚の自殺が極めて大きな政治的衝撃を 持ったことがわかる。発足時支持率歴代4位とい う数字と、その後の支持率低下の速度を考えるな らば、安倍内閣は1960年代以降で最も「期待は ずれ」の内閣であったと考えられる。


3.政党支持率の推移
 次に、政党支持率の推移について確認しておこ う。図1にあるように政党支持率は内閣支持率に 比べると緩やかにしか変化していない。目視で確 認する限り、安倍内閣支持率と自民党支持率とは、 変化の幅こそ後者の方が小さいが、基本的に似た 形状で推移している。議院内閣制である以上、与 党と内閣とは相互依存関係にあり、同じ政治的出 来事が程度の差こそあれ同じ方向で内閣支持率と 与党支持率とに影響を与えていると考えられる。た だし、参議院選挙前後6月から8月にかけての変 化は両者で異なった軌跡を描いていることには注 意を要する。
 一方、野党民主党の支持率と内閣支持率との 関係は不明確である。選挙前後の6月から8月に かけては、内閣支持率の低下と民主党支持率の 上昇とは連動しているようにも見えるが、5月までの 時期には民主党支持率と内閣支持率、自民党支 持率の三者が同じ方向に変化しているようにも見え る。この点を確認するため、図1に示してある5つ の系列について、相関係数を計算した(表2)。全 期間についての相関係数を示すのが一番左の表 だが、内閣支持率と自民党支持率との相関係数 は 0.91、民主党支持率とは -0.69、無党派率とは -0.05 である。しかしながら、2007年5月と6月 の間を境目にして、5月以前の8回と6月以降の 4回の時期に分けて相関係数を計算すると全く違う 傾向が浮かび上がる。5月以前については、内閣 支持率と民主党支持率の相関係数は +0.5であり、 両者がむしろ同じ方向に変化していることが分かる。 また、06年12月と07年2月の内閣支持率急落 と民主党支持率との間にも明瞭な関係は見られな い。これは、政府・与党の不祥事や失策から内 閣・与党支持率が低下しても、同じ出来事が自動 的に野党支持率の上昇をもたらすわけではないこと を示している。野党は内閣・与党の失策・不祥事 を攻撃することはできるが、それを自らの党を有権 者に売り込む材料にすることが難しいからであろう。


表2


 一方、6月以降については内閣支持率と民主党 支持率の相関係数は -0.90と非常に高い負の関係 を示し、それ以前とは関係が逆転する。これには 二つの理由が可能性として考えられる。一つ目は、 年金問題については民主党の長妻昭衆議院議員 の調査活動と国会における追求が大きな役割を果 たしており、国会における民主党の活動が広く有権 者に印象づけられたという積極的な理由である。も う一つは、選挙まで2ヶ月を切り、新聞やテレビの 報道も選挙を念頭においたものになりつつある時期 に、立て続けに与党に不祥事が発生したため、有 権者は特に野党が魅力的でなくとも、野党に対す る支持を表明したという消極的な理由である。こ の二つの説明は両立しうるので、どちらか一方だ けが正しいわけではない(どちらも間違っている可 能性もある)。ただし、時事調査では各党支持者 にその理由も多項選択で尋ねているので、どちら の要素が大きかったかを大雑把に検討することは できる。


表3


 表3に示したのは、安倍政権期における民主 党支持理由の推移である。一見して明らかであ るが、5月から8月にかけて最も急激に上昇した のは「他の政党がだめだから」の6.1%(4.0%→10.1%)であり、「政策がよいから」や「主義、主張 がよいから」は合計しても3.7%しか上昇していな い。従って、5月から8月にかけての民主党支持 率の急上昇に、年金に代表される社会保障政策 に対する取り組みも貢献したかもしれないが、最も 重要な原因は選挙直前の時期に、政府・与党が 大失態を演じたことであったように思われる。


4.考察
 本稿は参議院選挙前後の民主党支持率の急上 昇を否定的な観点から論じていると思う読者がおら れるかもしれないが、それは筆者の意図するところ ではない。確かに、近づきつつあった参議院選挙 があったからこそ、政府・与党の不祥事が、民主 党支持率の上昇へと結びついた。しかし、それは 今回の民主党支持率の例に限らない、議院内閣 制の統治機構を持つ国の野党にとっては不可避の 構造的問題を示しているのではないかと思われる。
 安倍政権期の調査だけからの一般化には慎重 になる必要があるが、選挙がそれほど近くない時 は、内閣の不祥事が与党支持率に影響を与えて も、野党支持率には大きな影響を与えていない。 内閣と与党が責任を共有し、人的にも連続してい ることが有権者の目に明らかであるのに対し、政 府・与党の失策が野党の手柄として人々に認識 される訳ではないからだと考えられる。また、野 党は議会内で政府を批判する存在であり、その政 策に与える影響は与党と比べれば明らかに小さい。 仮に議会論戦を通じて、政府の政策を批判して修 正・改善を勝ち取ったとしても、最終的にそれは 与党の業績とされてしまう。その意味で、野党は 実績や政策を有権者に誇ることが難しく、通常は 構造的に不利な立場にあると言わざるを得ない。
 ただし、その野党にとって不利な構造が一時的 に解消するのが、選挙という舞台装置である。何 故なら、有権者は選挙という具体的な選択の文脈 を与えられて初めて政府・与党に対する不満・失 望と野党に対する期待とを結びつけようとするからで ある。表3で具体的に見たように、民主党支持率 が上昇した最大の理由は「他の政党がだめだから」 だが、この場合、「他の政党」として有権者の脳裏 に浮かんだのは明らかに与党の自民党であろう。
 具体的な選挙運動と選挙報道による情報の伝達 と参議院選挙における選択の機会が有ったからこ そ、人々は政府・与党の失態と野党に対する期待 とを結びつけることができたのではないか。
 では、野党民主党の支持率は、選挙が具体的 な政治日程に載らない限り、徐々に衰退していくの であろうか。その点を考察するために、過去の例と の比較を試みたい。実は、2007年5月から8月ま での民主党支持率の推移は、1989年5月から8月までの社会党支持率の推移と酷似する。前者が、 9.5%、11.0%、12.8%、そして19.0%と推移したの に対し、後者は10.9%、13.4%、16.6%、19.3% と変化した。その意味では、07年の参議院選挙は 89年の参議院選挙の再来である。また、2005年 総選挙における民主党、1986年総選挙における 社会党の大敗ぶりも、非常に似通った背景を提供 する。歴史は繰り返されると考えるならば、今回の 参議院選挙における民主党の躍進も、結局は89年参議院選挙における社会党の躍進と同様、政権 交代には結びつかず、その支持率も減衰していくこ とになる。
 この点興味深いのは、現在までのところ、歴 史は繰り返していないことである。1989年9月か ら12月までの社会党支持率は、9月 17.5%、10月 15.4%、11月 14.6%、12月 12.3% と低下して いったが、本稿執筆段階までに民主党支持率は 9月 17.1%、10月 16.2%、11月 16.3%、12月 15.9% と低下しつつも安定して推移しているように 見える。この違いは、大勝したとはいえ参議院に おいて自民党に次ぐ第二党に過ぎなかった社会党 が、選挙という舞台装置を失った後は、政府・ 与党批判に終始せざるを得なかったのに対し、民 主党が参議院第1党という地位を獲得し、政策 決定に大きな影響力を発揮する制度的基礎を持っ たことに起因すると考えられる。参議院内の議席 数が自民党よりも少なかった89年参議院選挙後 の社会党と違い、07年参議院選挙後の民主党に は、有権者に対してその存在を訴えるために必要 な選挙以外の舞台装置が与えられているのである。 筆者の考え方が正しいのであれば、今後民主党 支持率は少なくとも次の国政選挙が終了するまで は、07年参議院選挙以前の8~10%という率では なく、15%から20%のより高い値で推移すると考え られる。2007年秋以降、時事通信社の調査では 自民党支持率と民主党支持率には7%前後の開 きがあるが、他社の調査結果では両党の支持率 が拮抗することもある。失笑を買うこと恐れずに言 えば、少なくとも世論においては政権交代の準備 は整ったように見える。後は、次の総選挙に向け て世論の期待に応えるだけの政策と候補者とを民 主党が如何に整えるかの問題であろう。



【参考文献】
上杉隆『官邸崩壊-安倍政権迷走の一年』新潮社、 2007年。
前田幸男「時事世論調査に見る政党支持率の推移 1989-2004」『中央調査報』564号、2004年。