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■「中央調査報(No.624)」より

 ■ 時事世論調査から見る政権交代

前田幸男(東京大学大学院情報学環・准教授)  

 2009年8月30日の第45回衆議院議員選挙において民主党は308議席を獲得する歴史的大勝利を収めた。戦後日本の繁栄を築いた自民党が時代に適応する能力を失ったために、有権者は民主党の政権担当能力に不安はもちつつも、政権交代による変革の可能性を選択したというのが、一般的理解のように思われる。例えば、『日本経済新聞』は「戦後日本の成長モデルそのものといえた自民党政治に、有権者は強烈な「ノー」を突きつけ、次の四年を、巨大民主党という未知なる「非自民」に委ねた」(「未知なる与党に託すもの」2009.8.31)と整理し、また、『東京新聞』は、「政権担当能力への疑問には目をつぶっても、変革と革新の未来に賭ける、が民主党躍進の理由」(「未来につなげる政治を」2009.8.31)と論じている。もちろん有権者というのは一枚岩の存在ではなく、その中には多様な意見が存在したはずである。しかし、四年前と比べると、大勢の人々の選択が自民党から民主党へと変化したことは疑いない。本稿では、2005年9月から2009年9月までの時事世論調査結果を利用して、政権交代選挙を準備した過去四年間の世論の変化に接近する。

1.内閣支持率の推移
 最初に、前回の総選挙直後に行われた2005年9月の調査から今回の総選挙直後の2009年9月までの内閣支持率と政党支持率の推移を示した図1をご覧頂きたい。四年間で小泉、安倍、福田、麻生と四つの内閣が存在したので、内閣支持率のグラフは四つに切り分けられている。四内閣とも初期に高い支持率を記録し、その後減少する特徴は共通している。実際に新内閣成立直後の10月調査と退陣時の9月調査の支持率を比べると、第三次小泉内閣は支持率を10.3%低下させているだけだが、安倍・福田・麻生の三内閣はそれぞれ25%以上支持率を低下させている。

図1

 以下、各内閣における支持率の変化を簡単に確認する。小泉内閣はライブドアの堀江貴文社長の逮捕、防衛施設庁の談合など政権に不利ないくつかの出来事により06年1月から2月にかけて6.5%支持率を下げたのが目立つが、それ以外は大きく支持率が変動することはなかった。最後の調査になった2006年9月の支持率は43.2%であり、いわば余力を残した状態で退陣したことになる。一方、小泉内閣最後の一年と比べると、残りの三内閣は非常に厳しい支持率の下落を経験したと言える。
 安倍内閣は発足直後から2007年度予算が成立した2007年3月までは支持率を下げ続けた。特に、2005年総選挙における郵政造反議員の復党を認めた直後の12月には、前月から9.5%という大きな下落を経験している。4月以降は、国民投票法の成立など保守色の強い政策で着実に成果をあげ、内閣支持率は好転した。しかし、「宙に浮いた年金記録」の存在が大きく報じられ、さらにその直後に松岡利勝農相が自殺したことを契機に、5月から6月にかけて10.6%の支持率低下を経験した。安倍内閣ではその後も、閣僚の失態・失言などが続出し、自民党は7月の参議院選挙で大敗を喫した。
 次の福田内閣であるが、その支持率は発足直後から退陣まで低下の一途を辿った。例外は洞爺湖サミットと内閣改造による浮揚効果が出たと思われる2008年7月と8月の2回だけである。インド洋上での給油問題を始め、自衛隊イージス艦と漁船の衝突事故や日銀総裁人事等の対応に追われ、衆議院と参議院の多数派が異なる「ねじれ国会」の運営に苦しみ続けたことが支持率にも表れたと思われる。最大の下げ幅を記録したのは4月から5月にかけての7.7%であるが、時期的に見て後期高齢者医療制度に対する批判と揮発油税を巡る問題が大きかったと推察される。毎月支持率を下げ続けたとは言え、劇的に支持率を下げる不祥事や閣僚の失態は無く、野党の厳しい攻撃にさらされ続けてきたことが、支持率の長く緩やかな下降として現れたと考えられる。
 最後に麻生内閣だが、発足時の支持率は38.6%で、四内閣の中では最低であった。しかも、発足わずか2ヶ月を過ぎたあたりの12月の調査では、前月から22.1%の支持率低下という時事世論調査史上最悪の記録を残した。池田内閣以降の時事世論調査の数字を見ると、そもそも内閣支持率が10%以上低下したことは、11回しかなく、20%以上の低下となると2回しかない。2位は小泉内閣の21.3%だが、それは田中真紀子外相の更迭に端を発するものであった。ただし、その変化は67.8%という異様な高支持率から46.5%という通常の支持率への移行過程とも理解できるのに対し、麻生内閣は時事世論調査の平均値35.8%を若干上回るだけの38.8%から、一気に16.7%への低下を経験した。「キャラがたつ」麻生太郎を首相にして、衆議院選挙を勝ち抜くというのが自民党の戦略であったと思われるが、その目論みはこの段階で完全に外れたと言って良いであろう。

2.内閣支持理由・不支持理由
 この節では、内閣支持理由および不支持理由の推移を利用して、有権者による内閣の評価を掘り下げて検討する。時事世論調査では、支持あるいは不支持を表明した回答者に対して、当てはまる理由を回答票から選んでもらっている(複数回答可)。8つ有る選択肢から主な5つを選び、それぞれグラフにしたのが、図2図3である。なお、ここでの百分率は支持者・不支持者内の率ではなく、有権者全体における率である。

図2


図3

 支持理由、不支持理由の推移を見ると、有権者は、新聞やテレビで報道される首相あるいは内閣の個性や、具体的な政治的出来事を明確に認識していることが窺われる。例えば、内閣支持理由(図2)を見ると、小泉内閣最後の一年(2005.10~2006.9)では、「リーダーシップがある」という理由が平均18.3%あったのに対し、その理由をあげた比率は他の三内閣では平均2%前後に過ぎない。小泉内閣に対する支持が小泉首相の政権運営の手法に大きく依存していたことの証左だと思われる。
 一方、「印象が良い」という理由は安倍内閣で突出して高く、内閣発足時には18.9%を記録した。安倍内閣は「首相を信頼する」という理由も発足時に16.9%あり、世論における支持基盤が当時52歳という安倍の若さと清新な印象に依存していたことは明らかであろう。その後、「お友達内閣」と揶揄された稚拙な政権運営のために支持率は漸減して行き、「印象が良い」を支持理由としてあげる人は退陣時に全体の3.5%まで激減した。しかし、「首相を信頼する」という回答の比率は、小泉退陣時の8.2%と比べても遜色ない7.5%あり、一定の固い支持層が存在したことを窺わせる。
 福田内閣そして麻生内閣については、「他に適当な人がいない」というのが政権発足時から退陣に到るまで常に支持理由の最多であった。両内閣とも支持率が急速に低下したので、その特徴については、むしろ不支持理由から確認したい。
 その不支持理由(図3)であるが、四内閣を通じて、「期待が持てない」という理由が常に最多である。それが徐々に高まっていったことは、一年ごとの首相の交代という事態に人々が閉塞感を深めていったことを表しているかのように見える。確かに、「有権者は自民党内のリーダーたらい回しでは、国は立ち行かないと見切り」(「新しい時代が始まる」『毎日新聞』2009.8.31)を付けざるを得ない状況であった。
 福田内閣の特徴は、不支持理由に「リーダーシップがない」という回答が多い点であろう。福田首相は万事に慎重で、また、国民(あるいは報道記者)に対して明瞭なメッセージを送ることが希であったと言われる(読売新聞政治部,2008年)。「漂流政権」とまで言われるほど方向性がわかりにくかったことが、首相にはリーダーシップが不足しているという評価につながったのであろう。
 一方、麻生内閣では、「首相を信頼できない」という不支持理由が群を抜いて高い。実は高支持率のまま退陣した小泉内閣も、「首相を信頼できない」という不支持理由をあげる人々は、平均11%程度いた。小泉内閣については最後の一年だけを見ているという面もあるが、安倍・福田両政権については、発足時には「首相を信頼できない」という理由は低く、それがその後徐々に上昇している。しかし、安倍・福田両内閣における平均はそれぞれ9%、11%前後で、ならしてしまえば小泉内閣最後の一年と大差はない。それに対して、麻生内閣は、やはり2008年11月から12月にかけて「首相を信頼できない」という比率が、9.8%から26%へと急増している。一ヶ月で16.2%の人々から信頼を失ったというのは文字通り前代未聞であろう。在任期間中で平均しても、21.7%で他内閣の2倍前後の数字である。同じ期間に、「政策がだめ」という回答は、10.1%から27.6%へと急増し、「リーダーシップがない」という回答も、6.5%から26.5%へと上昇している。この劇的な変化の原因については、傍証から推し量るしかないが、定額給付金を巡る閣内および与党の不一致、「医師には社会的常識がない人が多い」等といった麻生首相本人の失言の連続、漢字が読めないと数度にわたり揶揄されたことなどが複合的に作用したとしか思えない。

3.政党支持率の推移
 ここで図1に戻って、政党支持率の推移を確認したい。この四年間においても政党支持率は内閣支持率と比べると緩慢にしか変化してない。内閣への支持・不支持は首相を始めとする閣僚という具体的な人間の立ち振る舞いについて表明されるのに対し、政党に対する支持・不支持は、評価の対象が大きな組織全体に広がる。また、特定の政党名を聞いたときに脳裏に浮かぶ対象は人により異なると思われるので、内閣支持率に比べると世論調査の回答も一つ一つの政治的出来事に鋭敏に反応しているわけではない。ただし、それだけに政党支持率はより構造的な変化を見るのに適している。
 2005年総選挙直後の9月調査では、自民党支持率31.9%、民主党支持率が14.8%で両者には倍以上の開きがあった。小泉内閣最後の一年を見る限り、両党支持率の間には常に10%以上の差があったが、それが安倍内閣の2007年6月調査から急速に接近している。
 そもそも第一次民主党結党後から小泉内閣最後までの10年間(時事調査で1996.10~2006.9)を検討すると、自民党の平均支持率23.7%に対し民主党の平均支持率は6.4%と開きが大きい。小泉内閣以前で両党の支持率差が10%を切ることは希であり、辛うじて差が9.8%になった2003年12月の他では2004年の参議院選挙後の7月から10月のみであり、明らかに選挙あるいはその前後の政局に影響された短期的な現象であった。
 それが、2007年参議院選挙直後の8月調査で両党の支持率差が2%に接近してからは、再び10%以上の差がつくことなく、2009年の衆議院選挙に至っている。小泉内閣の5年5ヶ月に限れば両党の間には平均して16.3%の差があった(自民24.2%、民主7.9%)。それが安倍内閣の12ヶ月では11.8%に縮小し(自民22.9%、民主11.0%)、福田内閣で6.7%(自民21.6%、民主14.9%)、さらに麻生内閣ではその差は3.1%と段階的に縮小して来た(自民19.4%、民主16.2%)。麻生内閣の場合、平均すると辛うじて自民党支持率が民主党支持率を上回っているものの、2009年7月以降は時事調査で初めて自民党が支持率における相対多数の地位を明け渡し、民主党が支持率上の多数派になっている。
 グラフの形状を見る限り、2007年7月の参議院選挙がこの両党支持率に関して画期となったことは疑いの余地がない。全体の支持率から作成したこのグラフではあくまで2009年6月まで自民党が多数派である。しかし、年齢毎の集計では、既に2007年参議院選挙前後の段階から50歳以下では自民・民主両党の支持率はほぼ拮抗しており、数度にわたる支持率の逆転・再逆転が起きていた。時事世論調査において自民党支持率が最後まで相対多数の地位を維持できたのは、高齢化により母集団における比重が増しつつある60歳代以上での相対多数を維持していたからに他ならない。

4.政党支持理由
 念のために、政党支持理由についても一瞥を加えておきたい。自民党支持者と民主党支持者に聞いた支持理由の選択肢7つ(複数選択可)のうち、主な4つを利用して作成した図4図5を確認して頂きたい(全体の比率)。一目瞭然であるが、自民、民主両党とも支持理由で最大の選択肢は、「他の政党がだめだから」である。

図4


図5

 「他の政党がだめだから」という消極法による理由が最多になる理由は二つ考えられる。第一に、政党に対する支持・不支持は、内閣に対する支持・不支持と異なり、常に相対比較の問題となるからである。仮に現内閣に対して不支持であっても、即、別の内閣を支持することはできない。また「政党支持なし」はあり得ても「内閣支持なし」は奇異である。それに対して、政党支持は、特定の政党に対する不支持が、即別の政党に対する支持につながり得る(当然、「支持なし」にもつながり得る)。その意味では、有権者の目に他の政党がどのように映るかが重要な判断材料となるのは当然であろう。第二に、「政策」、「主義主張」等を的確に理解することは難しい。そこから、便宜上「他の党がだめだから」を選ぶ有権者が多くとも不思議ではない。
 ただし、政党支持理由は、提供される選択肢に規定される面がある。個別の政策や主義主張を判断することが難しくとも、少なくとも自民党に関しては、「過去の実績」や「政権担当能力」が選択肢に入っていれば、支持理由の分布は大きく異なった可能性を否定できない。しかし、民主党については、「過去の実績」や「政権担当能力」を判断する材料が少ないことを考えるならば、仮に他の選択肢が準備されていたとしても「他の政党がだめだから」がやはり最大の理由となったと考えられる。
 政党に対する支持を表明しなければ、支持理由を選択することができないので、両者が連動するのは当然だが、それでも民主党については支持率と「他の政党がだめだから」との関連が、 他の支持理由と比べて強いことは明瞭である(相関係数は0.95)。一方、自民党支持率と「他の政党がだめだから」の相関係数は、0.80で、グラフに掲載している四つの理由のなかでは最低である。従って、この四年間の政党支持率の変動を見る限り、過去に自民党支持あるいは「支持なし」であったが、「自民党がダメだから」民主党に期待を託して支持を表明した人たちが相当数いたことは間違いないと思われる。2007年参議院選挙を一つの画期と考えるならば、参議院における第一党の地位を獲得した民主党は、参議院を制度的な足がかりにして、政府を徹底的に批判し、自公連立政権の行き詰まりを有権者に印象づけることに成功したと言えるのではないか。

5.結語
 前回2005年の衆議院選挙では、小泉首相が衆議院を解散した段階では、民主党にも十分勝機があると考えられていた(例えば、『毎日新聞』「社説」2005.8.11)。状況が激変したのは8月下旬以降、いわゆる「刺客」候補の擁立が本格化してからである(Maeda,2006)。
 その一方、今回の総選挙については、非常に早い段階から政権交代は半ば必然と考えられていた節がある。毎日新聞の世論調査では安倍政権の途中から、次の参議院(2007年7月以降は衆議院)で勝ってほしい政党について、断続的に質問をたずねている。2006年12月の段階で、次の参議院選挙で勝って欲しいのは自民党40%、民主党38%とほぼ拮抗していた。その様相が変わるのは、2007年5月下旬に、「宙に浮いた年金記録」の問題が大きく報じられてからである。2007年2月と4月の調査では拮抗していた数字が、自民33%、民主42%と逆転し(全て『毎日新聞』2007.5.28紙面より)、その後2回の調査(2007.7.2紙面、7.27紙面)でも10%前後の差がついたまま参議院選挙に突入し、自民党は大敗を喫した。
 その後、質問は次の衆議院選挙について繰り返されるが、民主党が4%から13%程度の差を自民党につけていた。その差がさらに拡大するのは、2008年5月調査で、その際は自民党24%、民主党51%という倍以上の大差がついた(2008.5.4紙面)。この差は、麻生内閣が成立した直後は「御祝儀相場」により瞬間的に消滅し、自民党が41%、民主党が37%と逆転したが(9.26紙面)、差は年末には再度拡大し、小沢民主党代表に対する西松建設の献金が話題になった期間を除くと基本的に20%以上の差が常に存在した。その意味で、2008年5月以降は、多くの有権者にとって政権交代は既定路線であったように思われる。
 では、政権交代は、今後の政党支持率についてはどのような意味を持っているのであろうか。過去にも数度時事世論調査の集計データを検討した経験から、展望を試みたい。時事通信の世論調査は他社の調査に比べると自民党支持率が高めに、民主党支持率が低めに出る傾向があったが、それでも、この9月10-13日の調査では、民主党支持率26.3%、自民党支持率16.6%と10%以上の差をつけた。本稿執筆段階(2009年9月末)で最新の他社調査を参照すると、例えば、毎日新聞の9月16-17日の電話調査では自民党12%に対して民主党45%(2009.9.18)、読売新聞の電話調査でも自民党12%に対して民主党51%(2009.9.18)と大差がついている。
 ここで注目したいのが、民主党支持率が選挙直後の9月調査で上昇している点である。8月の時事調査は上旬に行われているために、下旬選挙直前の上昇を補足できなかった可能性もあるが、共同通信の電話調査では8月31日-9月1日の調査で41.1%だった民主党支持率が9月16-17日の調査で47.6%に上昇している(『東京新聞』2009.9.18)。従って、民主党支持率は選挙前に上昇した後、さらにもう一段階上昇したと考える方が妥当であろう。選挙から2週間以上経過した段階での支持率の上昇は、選挙の余波というよりは、新内閣の発足で存在感を高めた民主党に対する期待の意味を込めた漠然とした支持ではないかと考えられる。では、政権交代の興奮が冷めた段階で民主党支持率は選挙前の水準に戻り、自民党支持率が再度多数派になるのであろうか。その可能性は極めて低い。
 巨大与党となった民主党と野党となった自民党は、政府・国会という制度の枠内では従前と180%逆転した立場に立つことになったが、その逆転は世論調査における政党支持率にも反映されると思われる。政府・与党あるいは一体としての政権党は、政治運営の中心にあり、常に報道の対象となる。それに対して、野党についての報道は政権党に比べると少なく、野党が日常的に有権者の注意を引くことは難しい。また、国会における野党の政府に対する批判は、内閣支持率や政権党支持率の低下にはつながっても、野党の支持率そのものの上昇には容易につながらない。国会で政府提出法案を批判して、修正・改善を勝ち取ったとしても、それは政権党の業績とされてしまう。従って、野党はその政策や活動実績を有権者に誇ることが難しく、有権者からの支持を調達する上で構造的に不利な立場にある。選挙が近づくと、有権者は具体的な投票の判断材料を探すので、有効な政府批判は野党の支持率を高めることになるが、選挙が終われば、また野党に不利な構造が現れる。民主党が、2007年参議院選挙後に野党でありながら、一定の支持調達に成功したのは、野党にとって不利な構造が一瞬解消する機会である選挙において勝利し、参議院多数派という政府を掣肘するにたる制度的基盤を得たからだと考えられる。現在の自民党は参議院でも第二党に過ぎず、過去二年間に民主党が示したほどの存在感を示すことはできないのではないか。
 現在の議席数は、選挙直後の段階で民主党が衆議院308、参議院109、自民党が衆議院119、参議院82であるが、これは2005年9月総選挙直後の自民党の衆議院296、参議院112と民主党の衆議院113、参議院80と似通った数字である。もし、議席率が政治的影響力さらには報道における比重をある程度反映すると仮定すれば、民主党支持率と自民党支持率との関係も、2005年9月から2007年6月ごろまでの数字を再現する可能性が高い。時事世論調査では、その期間の自民党支持率の平均は25.7%、民主党支持率の平均は9.9%である。自民党は歴史が長い故に、安定した支持層が高齢者に多いことを勘案すると、この数字より民主党支持率が低め、自民党支持率が高めに出ることも予想される。従って、今後は民主党が20%台前半から半ば、自民党が10%台前半の支持率で、両党の間に10~15%近い支持率差がある状況が続くのではないか。
 自民党が支持率で相対多数の地位を失い、民主党支持者が相対多数派になったのは、日本の政党政治とってだけでなく、政治意識・世論調査研究にとっても画期的な出来事である。従来は学術調査で分析するに足る規模の標本を確保できたのは、自民党支持者と「支持無し」だけあったが、民主党支持者という新しい多数派の出現は、従来の理論を検証するための新たな材料を研究者が得たことを意味する。そして、時事世論調査は政党支持率について1960年以来の唯一・最長の時系列を提供する大変貴重な調査である。政権交代により、時事世論調査データの長期的な分析価値が更に高まったことを強調して、本稿の結びとしたい。

【参考文献】
Maeda, Yukio. “The 2005 General Election and Public Opinion.” Social Science Japan, October 2006.
読売新聞政治部『真空国会-福田「漂流政権」の深層』新潮社、2008年。

 付記
 明示的に引用はしていなが、本稿の内容は過去に行った分析の上に成り立っている。旧稿に興味がある方は、『中央調査報』の№564, №569, №581, №602 をご覧頂きたい。