中央調査報

トップページ  >  中央調査報   >  気候関連情報と財務会計の接近と金融機関のスコープ3開示
■「中央調査報(No.766)」より

 ■ 気候関連情報と財務会計の接近と金融機関のスコープ3開示


関東学院大学経済学部 非常勤講師
阿由葉 真司


1.はじめに
 昨年秋に菅政権が2050年の温室効果ガス(GHG)排出量のネットゼロ達成を宣言したことを契機に、政府による脱炭素社会に関する様々な政策が導入され、企業による対応策の検討も活発化している。特に、企業活動に影響を与える気候変動リスクを把握するための情報開示フレームワークの進展には目を見張るものがある。
 加えて、昨今の気象災害の激甚化を目の当たりし、金融機関や機関投資家が投融資先の気候変動リスクを真剣に受け止めるようになるなど、金融機関の気候変動リスクに対するスタンスも大きく変化した。こうした金融機関の変化を契機に、事業会社も自社の気候変動リスクを適切に把握する必要が高まるなど、産業全体として気候変動リスクと無縁ではいられない状況となっている。
 本稿では、このように目まぐるしく展開する気候変動リスクを巡る政策動向の中で、特に定量情報を基に気候変動リスクが評価されつつある現状を概説し、こうした変化が企業経営に与える影響について考察する。

2.気候関連財務情報開示の現状と改訂の方向性
(1)気候関連財務情報開示の現状

 TCFDという単語は頻繁に紙面に登場し、ビジネスの現場でも耳にすることが多くなった。このTCFDが示す「気候関連財務情報開示タスクフォース」は賛同企業に対して、「ガバナンス」、「戦略」、「リスク管理」、「指標と目標」の四項目で、中長期の気候関連リスクと機会を定量的に把握し、開示することを推奨する情報開示フレームワークを提供している。自主的かつ柔軟な開示フレームワークが世界的に企業から受け入れられ、現状、TCFD提言が実質的に気候関連財務情報開示に係る世界的なスタンダードとなっている。
 TCFDはG20の要請を受け2015年に設立された比較的若い国際イニチアチブであるが、賛同社数はグローバルで既に2,350社 1に達している。日本においては451社が賛同しており、賛同社数では英国、米国をしのぐ第1位を確保している。加えて、2021年6月のコーポレートガバナンス・コード改訂を契機に賛同社数は更に増加を続けている。改訂版コーポレートガバナンス・コードは、2022年4月から運営開始されるプライム市場に上場する企業に対して、賛同の如何に関わらず、TCFDフレームワークを基に気候関連財務情報の開示を求めるものであり、上場企業に対し気候関連財務情報開示の重要性を一段と認識させる契機となった。

(2)TCFD改訂の概要
 気候関連財務情報開示のバイブルとして利用されているTCFD最終報告書とその別冊は2017年6月に発表された。発表より4年が経過し、その間に情報開示を巡る環境が大きく変化したため、内容の改訂作業が進行している。内容改訂にあたりTCFDは「気候関連指標と目標及び移行計画のガイダンス案(MTT)2」と「ポートフォリオアラインメントの測定:補足技術書 3」の2冊のレポートを発表、2021年6月から7月にかけて改訂案のコンサルテーションを実施した。現在、改定案は最終レビュー中であり、2021年10月中旬に最終版として発表予定となっている。本稿ではMTTを基に、TCFD改訂の概要を説明する。
 まず改訂の範囲であるが、「TCFD報告書」及び「気候関連財務情報開示に関する提言の実施に向けて」を補足する「全てのセクターへのガイダンス」及び「特定のセクターへの補助的ガイダンス」が対象であり、最終提言本体の変更までは及んでいない。また、改訂が提案されている項目は、TCFD四項目の「戦略」及び「指標と目標」に集中している。加えて、改訂対象の産業セクターは非金融セクターから金融セクター 4まで広範に及ぶ。
 今回の改訂ポイントは3つある。一つ目は、全セクター共通で「業界横断的な気候関連指標を開示すべき」と提案されている点である。具体的には、GHG排出量、炭素価格、炭素暴露資産といった定量的に評価可能な気候関連の指標を過去、現在及び将来の数量見通しといった形で評価し情報開示することを推奨している。TCFDは開示内容を企業の裁量に委ねているため、企業比較や時系列的な推移の評価が難しいとの要望が投資家側から示されていた。今回の改訂によって特定の気候変動リスクの評価指標を推奨することを通じて業界横断的な比較や時系列的な進捗評価が可能となることが期待される。
 二つ目は、MTTでは「スコープ3排出に関する報告は開示に含めることが正当化されるほど成熟している」として、開示企業にスコープ3基準のGHG排出量開示を推奨していることである。GHG排出量の情報開示には、スコープ1、2、3という分類が用いられている 5。スコープ1は自社施設の燃料消費等により発生する直接的なGHG排出量、スコープ2は自社施設で使用した購入電力や熱から発生する間接的なGHG排出量、スコープ3は自社の商品を製造、販売する際、サプライチェーンの上流や下流に位置する企業から排出されるGHG排出量と定義している。尚、投融資を通じて排出されるGHG排出量はスコープ3に位置づけられる。
 実際には、TCFDが評価するほどスコープ3開示が進んでいるとは思われないものの、気候の激甚化を受け、パリ協定で示された気温上昇を2度以下に抑制するシナリオを達成するためにはより広範なGHG排出量の抑制が必要との危機感の表れであると解釈できる。この危機感は金融機関に対する気候関連の情報開示の強化にも表れている。具体的には、金融機関は PCAF6という国際的な炭素会計イニシアチブが提唱する計算方法に基づき金融機関のスコープ3である「金融排出 7」を測定・開示するだけでなく、加重平均炭素強度(WACI) 8を活用して、金融機関がポートフォリオから生じる排出量と気温上昇を2度以下に抑制するシナリオとの整合性を開示し、経年の達成度をリスク管理プロセスに組み入れることを提言するなど、非常に野心的な内容となっている。
 三つ目は、気候関連の移行計画(TransitionPlan)の提案である。MTTでは、移行計画を「市場参加者が気候関連のリスクと機会を適切に評価し価格を設定し、気候関連資産の長期的なリスクを理解するために不可欠なインプット」と定義し、移行計画で開示するべき重要な要素と開示の検討が必要と考えられる企業の明確化を提案している。改定後は、気候変動リスクが大きい企業は移行計画を作成し開示することが求められることになろう。
今回の改訂をまとめれば、GHG排出量のより広範な把握が求められると共に、より強く排出量の削減に対するコミットを求められる方向性が打ち出されたと言えよう。スコープ3基準のGHG排出量は、TCFD最終報告書が作成された2017年時点ではデータ収集が困難であったため「可能であれば(ifappropriate)」開示といったスタンスであった。しかし、スコープ3排出量の開示をとりまく環境が大きく変化したことを受け、スコープ3開示を強調する内容になったものと推察される。とりわけ、銀行のスコープ3の把握は、ネットゼロGHG排出を実現するために不可欠な挑戦として位置付けられている。
 今回の改訂のもう一つの特徴は、金融機関に対して多くを求める内容となっていることである。例えば、MTTは全ての金融機関はフォワードルッキングな情報開示をするべきと提言し、 ITR9の利用を推奨するなど、金融機関にネットゼロ排出を実現するポートフォリオアラインメントの推進を求めている。金融庁もこうした提案に対して、エビデンスベース(根拠に基づく)の指標を活用することは気候変動リスクの「見える化」に貢献するとして、その重要性を支持している10

3.金融機関のスコープ3の開示の動き
(1)炭素会計とは

 炭素会計とは、企業または国の二酸化炭素排出量、または大気中に放出されるGHGの排出量を定義および追跡するGHG排出量を管理するプロセスを指し、GHG排出量の数値管理に重きを置いている。炭素会計には様々なフレームワークが知られているが、ここで紹介するPCAFの炭素会計は、金融機関の投融資を通じて発生したカーボンフットプリントの管理を目的としている。
 金融機関にとっては投融資を通じて排出されるスコープ3にあたるGHG排出量がスコープ 1、2に分類されるGHG排出量よりもはるかに多いため、スコープ3基準のGHG排出量の管理が重要視されていた。しかし、銀行業ではスコープ3のGHG排出量を有効に測定する基準がなかったことが問題となっていた。上場企業の株式投資や社債運用が事業の中心である資産運用業界では、上場企業によるGHG排出量の情報開示が進展したことから機関投資家や資産保有者によるスコープ3基準のGHG排出量の議論が進展していたのに対し、非上場企業や中小企業への融資が主である銀行業界では、それらの企業のGHG排出量の把握が困難であった。PCAFはこの問題を解消し、銀行業界においてもスコープ3のGHG排出量の把握及び情報開示の促進が期待される点で、注目を浴びている。

(2)PCAF(Partnership for CarbonAccounting Financials)の概要
 PCAFとは金融炭素会計パートナーシップの略であり、2001年にオランダから始まった炭素会計イニシアチブである。金融機関からの投融資により発生するGHG排出量の把握を目的に、ファイナンスから生じるGHG排出量の計算方法とその計算に必要とされる炭素原単位等を提供している。PCAFは2020年11月に銀行、資産運用会社、資産所有者に対し投融資ポートフォリオのGHG排出量を測定・報告するための標準化方法を提供するために「金融業界向けグローバルGHG会計・報告基準 11」を発表した。この基準は上述のTCFD改訂において金融機関のスコープ3算出のための標準的計算方法として活用が推奨されている。
 PCAFは現状6つのアセットクラス 12に対応している。これにより、ほとんどの投融資ポートフォリオのGHG排出量の測定が可能となる。ポートフォリオ全体のGHG排出量が計測できれば気温上昇を2度以下に抑制するシナリオに合致しているかどうかといったアラインメント(整合性)の確認が出来るようになり、その方法論での貢献は大きいと言える。PCAFに参画している金融機関数は135行に達し、日本からは2021年7月にみずほ銀行が邦銀として初めてPCAFへの参画を表明している。

(3)金融機関のスコープ3の計算方法
 PCAFは以下の式に基づき投融資ポートフォリオから生じるGHG排出量の算出を推奨している。具体的には算出対象とする企業の投融資残高を分子とし、自己資本価値と外部負債価額を合計した金額を分母とした総調達金額に対する該当する投融資の寄与度を、その企業から生じたGHG排出量に掛けることで、投融資毎に投融資により生じるGHG排出量を測定している。

投融資毎のスコープ3排出量=(対象企業の投融資残高/(対象企業の純資産価値+総負債価値))×対象企業から生じるGHG排出量

 TCFD開示等を通じて自社のGHG排出量を開示する上場企業が増えているので、銀行は本方式を用いて上場企業に係る投融資から生じるGHG排出量を計算することは難しくない。しかし、銀行ポートフォリオのかなりの割合を占める非上場企業や中小企業から生じるスコープ3基準のGHG排出量を算出することは、これらの企業が自社のGHG排出量を計測し開示していないことから困難であった。PCAFは、このようなGHG排出量未開示企業のGHG排出量の推測をエネルギー消費量や生産量、収入から排出原単位を活用することで可能としている。
 更に、PCAFはデータクオリティスコアの導入により情報開示を通じて非上場企業や中小企業のGHG排出量を自ら測定するように促す仕組みを実現した。PCAFではGHG排出量を認証基準に基づき開示している場合、最もデータの質が高いスコア1に、収入や資産回転率を基にGHG排出量を推定した場合は、最もデータの質が低いスコア5に分類する(表1参照)。PCAFを用いて情報開示する金融機関はGHG排出量と同時にそれぞれの投融資残高に紐づけられたデータクオリティスコアの加重平均を開示する必要がある。

表1 PCAFスタンダートにおける排出量の計算方法

 データクオリティスコアは5段階評価で、スコアが低い(5に近い)金融機関は、情報開示を通じてスコアを改善する(1に近くする)圧力を受ける。PCAFはこの仕組みを通じて金融機関が非上場企業や中小企業にGHG排出量の測定を促すことを期待している。
 例えば、環境ファイナンスに特化した銀行として知られるオランダのトリオドス銀行は既にPCAFを基にしたポートフォリオに係るGHG排出量の計算及び開示を済ませている。2020年の同行アニュアルレポートでは同行全体のポートフォリオ(106.8億EUR)に係るGHG排出量はネットベースで358千CO2トンであり、太陽光発電等融資(23.8億EUR)を通じて発生を抑制できたGHG排出量は933千CO2トンと報告されている。更にトリオドス銀行はデータクオリティスコアも開示済(2020年 平均3.1)である。(表2参照)。
表2 トリオドス銀行の炭素会計と情報開示

4.財務会計と非財務情報の接近
(1)五団体プロトタイプの概要

 2020年12月、気候関連情報開示フレームワークを提供している開示五団体 14が「企業価値に関する報告 15」と題した文書を公表し、気候関連財務開示基準のプロトタイプを示した。本プロトタイプは気候変動関連の財務的リスクと機会、およびそれらが企業の財務実績、財政状態、価値創造能力へ及ぼす影響に関する情報を提供するための開示要件を定めるものであり、乱立していた気候関連情報開示分野での開示基準の統一化に繋がるものとして注目を集めている。
 本プロトタイプに関してもう一つ注目すべきは、この開示五団体の連携は財務会計の本丸である国際財務会計報告基準(IFRS)に対しても影響力を与える動きであるという点にある。例えば、本プロトタイプの目的は「IFRS財団や各国の政策立案者にとって有益な技術的インプットとして提供」することと明確に記述している。今後、本プロトタイプが非財務情報の財務情報への統合の際に大きな影響力を与えることが想定される。
 この開示五団体プロトタイプはTCFD提言の四項目である「ガバナンス」、「戦略」、「リスク管理」、「指標と目標」という分類を基に、気候関連リスクや機会に関し開示するべき内容や情報を具体的かつ詳細に定義していると共に、「この目的を達成するため開示主体は開示するべきである16」と記述しているように気候関連情報に係る詳細な情報開示を強く促している。このように本プロトタイプはTCFDフレームワークを利用しているものの、開示内容は賛同企業の裁量に委ねるTCFDとは本質的に異なると言えよう。情報開示は企業活動に大きく影響を与えることから、企業活動を阻害しない形で制度設計がなされるように日本からも積極的にフレームワーク作りに参画するべきであろう。
 本プロトコルは開示企業に対しシナリオ分析をより定量的にかつ精緻に実施することを求めている。更に、指標と目標に関しても、業界横断的な事項と業界固有な事項の開示、気候関連リスクと機会が企業の財務実績に与える影響を反映する指標の設定を求めるなど、財務に結び付いた目標の設定を通じて企業比較を容易にし、定量的な数値を用いることで経営陣の行動変容を促すことを強く打ち出している。このように本プロトタイプは開示内容の標準化や企業の行動変容をより重視したものであることが理解できる。なお、2021年6月1日付で上記五団体のうち国際統合報告委員会(IIRC)と米サステナビリティ会計基準審議会(SASB)が共同で価値報告財団(VRF)を設立した。非財務情報開示分野においても情報開示基準の集約化の動きが始まっている。

(2)国際財務報告基準(IFRS)財団の対応
 財務会計でも気候関連情報を本格的に財務情報に織り込む動きが急速に進んでいる。国際会計基準委員会(IASB)は、2020年11月20日に発出したIFRS Developments第177号を「気候関連事項の財務諸表への影響」と題し、実務家に対し教育目的ではあるが気候関連事項の財務諸表への開示の考え方を示した。本文書は財務諸表への表示から資産の減損、金融商品開示といった個別項目において、気候関連事項の影響が重要となる場合には、それぞれの項目でその影響を評価し、開示する必要性を述べている。たとえば、資産の減損では、気候関連政策の影響が事業に与える影響を測定し開示することを推奨し、金融商品開示では借手、貸手の両者に対し気候関連リスクのエクスポージャーを測定し開示することを求めている。
 また、IFRS財団は2021年2月に「国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)」設立計画を発表し、非財務情報開示を財務会計へ取込む動きを本格化させつつある。ISSBは持続可能性に関する会計基準を明確化するためIASBの隣に位置しながら、TCFDと非財務情報の測定基準等を策定している上述の開示五団体との連携を強める方針を打ち出している。

5.今後の方向性に係る考察
 金融庁は2021年2月よりサステナブルファイナンス有識者会議を開催し、同年6月にその議論をまとめた報告書を発表した。この報告書には今後の気候関連情報開示や気候変動リスク管理に係る論点と方向性が具体的に示されているので一読の価値がある。ここでは、本稿のまとめとして同会議の結論を評価しつつ気候関連情報開示の方向性や企業経営に与える影響を考察したい。
 本報告書は各論として「企業開示の充実」、「市場機能の発揮」、「金融機関の投資先支援とリスク管理」の3テーマを取り上げている。まず、「企業開示の充実」では、「比較可能で整合性のとれたサステナビリティ報告基準の策定に向け、日本としてIFRS財団における基準策定を積極的に参画するべき」と結論づけている。上記でも解説したが、気候関連情報が財務会計に急速に接近しつつある中、情報開示が企業活動に与える影響が大きくなっている。日本企業の事業活動の制約にならないよう、積極的にフレームワークづくりに参画し日本企業のニーズを反映させることは、日本産業の国際競争力の観点からも大いに意義がある。
 「市場機能の発揮」では、「ESG評価・データ提供機関に期待される行動規範の在り方について議論が進む」ことを期待するとしている。この期待は、現状、ESG格付の評価手法やデータ提供機関が提供するデータの質に依然改善の余地が大きいことを反映している。それを受けて、上記で紹介したPCAFの炭素原単位に関して、三菱UFJ銀行が日本の自動車部品会社の現状を反映することを目的に東京大学と連携して、排出原単位の精緻化に取り組んでいる 17。国際イニシアチブでは提唱された国や地域の状況を基にフレームワークが構築されることが多く、それらのフレームワークが必ずしも日本の産業にフィットしたものではない場合がある。こうした議論が進展することは評価手法やデータの質を向上させ、より実効的な気候変動リスク管理を実現する上で、望ましいと言えよう。
 「金融機関の投資先支援とリスク管理」では、投融資先の気候関連情報開示や気候変動リスク管理の観点で、企業が負担の少ない形で気候変動リスクの管理が可能となる分析ツールの開発が望まれており、同時に、金融庁が「気候変動リスク管理に係る監督上のガイダンスを策定」することを推奨している。日本では上述したように改訂版コーポレートガバナンス・コードにより、プライム市場に上場予定の企業は、TCFD提言のフレームワークを基に、気候関連情報の開示への対応が求められる。現在、東証一部上場企業は2,190社18でありTCFD賛同企業数が451社であることは、引き続き大きくの企業に気候変動リスクを検討する必要が生じてくると考えられる。人的リソースの豊富な企業はTCFD開示に係る人材を確保することが可能であるだろうが、そうでない企業にとってはTCFD開示プロセスを導入することは負担になることが予想される。そのような観点から気候変動リスクを分析するツールが開発されることは、そうした負担を軽減させる点で有益なアプローチであると言えよう。また、PCAFによってポートフォリオから生じるGHG排出量の把握が現実的になったことから、次に金融機関の取り組む課題は、ポートフォリオのGHG排出量の情報を活用したリスク管理手法の標準化であろう。PCAFを通じて、ポートフォリオ全体のGHG排出量が把握できるようになるため、自行のポートフォリオを、気温上昇を2度以下に抑制するシナリオに対応しているか客観的に評価できるようになる。PCAFは金融機関及び金融監督当局にネットゼロを達成のためのKPI 19を提供したとも言えよう。PCAF導入後は、金融システム全体の気候変動リスク管理がより精緻に行われるようになるものと期待される。反面、PCAFフレームワークにおいて金融排出を抑制する一番の手法が炭素多排出企業に対する投融資額削減となるため、将来的に企業の資金調達に悪影響を及ぼす懸念も考えられる。このような動きを抑制するためにも「監督上のガイダンス」の作成は必要とされよう。
 気候関連情報が財務会計に急速に統合されつつある中、金融機関のポートフォリオに関する気候変動リスクの把握のためのGHG排出量の開示が上場企業から非上場企業や中小企業へと広がることとなろう。現在、上場企業にとって気候変動リスクの把握や情報開示は不可避な経営事項となっている。今後は非上場企業や中小企業にも金融機関との対話を通じて気候変動リスクの把握や情報開示に対する圧力が高まることとなろう。


参考文献
○TCFD(2021), Proposed Guidance on Climate-related Metrics, Targets, and Transition Plans, June 2021
○TCFD(2021), Measuring Portfolio Alignment: Technical Supplement, June 2021
○CDP, CDSB, GRI, IIRC, and SASB (2020), Reporting on enterprise value, December 2020
○PCAF(2020), The Global GHG Accounting and Reporting Standard for the Financial Industry, First edition, November 2020
○サステナブルファイナンス有識会議「サステナブル有識者会議報告書-持続可能な社会を支える金融システムの構築-」2021年 6月

12021年7月26日時点。
2英文タイトルは“Proposed Guidance on Climate-related Metrics, Targets, and Transition Plan”。
3英文タイトルは“Measuring Portfolio Alignment: Technical Supplement”。
4銀行、保険会社、アセットオーナー、アセットマネージャーが対象。
5日本国内の省エネ法等では、企業自身が直接排出したGHG排出量が該当するスコープ1(化石燃料・天然ガス等)と間接的に排出したスコープ2(電力等)の管理が義務付けられている。
6Partnership for Carbon Accounting Financialsの略。
7原文ではFinanced Emissionと記載される。
8ポートフォリオのカーボンフットプリントの評価手法は複数種類あるが、TCFDでは加重平均炭素強度(Weighted Average Carbon Intensity; WACI)を推奨している。
9ITRとはImplied Temperature Riseの略であり、企業などが排出するGHGによる気温の上昇を推定するために使われる指標。ポートフォリオから生じるGHG排出量がどの程度温度上昇につながるかを示す。
102021年7月7日金融庁・CDP共催「金融機関のスコープ3」オンラインセミナーで金融庁の池田CSOが発言。
11英文タイトルは“The Global GHG Accounting and Reporting Standard for the Financial Industry”。
12上場株式・社債、商業ローン・未上場株式、プロジェクトファイナンス、商業不動産ローン、住宅ローン及び自動車ローンの6つ。
132021年8月9日現在。トリオドス銀行ホームページhttps://www.annual-report-triodos.com/2020/executiveboard-report/impact-and-financial-results/climate-impact-of-our-loans-and-funds-investments/ourfinanced-emissions参照。
14CDP(Carbon DisclosureProject)、CDSB(Climate Disclosure StandardsBoard)、GRI(Global ReportingInitiative)、IIRC(International Integrated ReportingCouncil、国際統合報告委員会)、SASB(Sustainability Accounting Standards Board、米国サステナビリティ会計基準審議会)の五団体を指す。
15英文タイトルは“Reporting on enterprise value”。
16原文では”to achieve the objective, the entity shall disclose”と記述されている。
172021年6月16日付日本経済新聞記事「三菱UFJ・東大、温暖化ガス排出量の測定基準策定へ」参照。
182021年8月2日現在。日本取引所グループホームページhttps://www.jpx.co.jp/listing/co/index.html参照。
19KPIとはKey Performance Indicatorの略であり、重要業績評価指標と呼ばれる業績管理評価のための重要な指標を指す。