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■「中央調査報(No.569)」より

 ■ 時事世論調査に見る内閣支持率の推移(1989-2004)

前田幸男 東京都立大学法学部助教授

 本稿は、『中央調査報No.564』(2004.10)に掲載した拙稿、「時事通信社世論調査に見る政党支持率の推移 1989-2004」に引き続き、同時期における内閣支持率の推移を分析するものである。内閣支持の分析は、政党支持の分析と比較すると研究の蓄積が少ないが、先行業績の中では、三宅・西澤・河野『55年体制下の政治と経済』(2001)が、簡単に内閣支持率の変動を理論的に検討している。なお本稿では、前掲論文執筆後利用可能になった2004年12月までの集計値を利用しているが、在任わずか二ヶ月で退陣した羽田内閣は検討の対象外とする。



1. 内閣支持とは

 時事調査における内閣支持とは、「あなたは○○内閣を支持しますか」という質問に対する返答である。調査対象者はこの質問に対して「支持する」、「支持しない」という意見を表明する。面接の際に回答票は用いられていないが、集計時の範疇には「わからない」が利用されている。明確に選択肢が提示されていないにもかかわらず、「わからない」の比率が、本稿検討期間中で平均23.7%と高いことは興味深い。これは、調査対象者が自発的に「わからない」と答えているだけではなく、厳密には「わからない」とは区別されるべき「どちらでもない」という回答が含まれている可能性を示唆する。
 個々人が何故内閣を支持するかには複数の説明が考えられる。人により内閣を支持する理由は異なりうるのみならず、一人が複数の理由から支持を表明することもあるだろう。内閣を支持すると言った場合、それが具体的に何を意味しているかも人により異なる可能性がある。従って、内閣支持の意味は理論的に定義づけられているのではなく、質問文により決定されている一面があることには注意を要する。
 なお、日本人にとって政党支持率と並んで内閣支持率が重要であることは半ば自明かと思われるが、議院内閣制を採用している国家においては内閣を構成する与党の支持率に関心が集中するのが一般的である。政治と経済との相互関係を検討する文献は枚挙に暇がないが、欧州諸国の政治に関しては与党支持率と経済状況との相互関係が検討されることが多い(例えば、Lewis-Beck 1988; Anderson 1995)。これは、特にウェストミンスター型の議院内閣制のように与党首脳部が強力な指導力を発揮し党内を掌握し、かつ、内閣を構成している場合には(Lijphart 1999)、敢えて内閣支持率を別途検討する必要が認識されにくいからであろう(例外としてNorpoth 1987)。この点、大統領制の国家の場合、与党だけではなく大統領の支持率にも大きな関心が寄せられるのとは対照的である。しかしながら、日本の議院内閣制の実態では、与党と内閣との二重権力状況(田中派・竹下派支配)、あるいは与党と内閣との対立(小泉内閣)が、実際に起こりうる以上、政党支持率と内閣支持率とは関連しつつも、それぞれ独自の力学で推移する余地が十分にあると考えられる。


2. 内閣支持率の全体的推移

 本節では、集計された内閣支持率の推移を、できるだけ内閣毎の特徴に注意を払いつつ、検討する。逐一引用箇所を示すことはできないが、内閣支持率に影響を与える要因を整理するに際しては、前掲、三宅・西澤・河野(2001)、および、猪口(1983)を参考にした。表1は各内閣の支持率、不支持率、そして回答が「わからない」に分類された率を示している。また、図1は本稿で検討する期間の内閣支持率の推移を、経済動向についての世論調査指標(後述)とあわせて掲載している。
 内閣支持率の推移を見る上で重要な第一の要素は時間である。政党支持率との対比で言えば、内閣支持率は時間の経過に沿って独特の変化を示す。具体的には新内閣発足時には高い支持率を記録することが多い。最高支持率が内閣発足時の支持率であることも稀ではなく、本稿の検討時期で言えば、宮澤、橋本、森の各内閣がそれに該当する。発足時の高支持率は、新内閣の業績を評価することができない以上、一定の期待の表明であると考えられるが、この期待という解釈は政治にかかわる人々の実感に近い(伊藤、2003年、63頁)。 細川内閣および小泉内閣発足当初の高支持率は過去から大きく変化するという期待を人々に抱かせたことによるものであろう。従って、その期待を裏切ると、急速に内閣支持率は低下することになる。周知のように爆発的な支持率と共に始動した小泉内閣は、小泉首相による田中真紀子外相の更迭により支持率を67.8%(2002年1月)から46.5%(同2月)へと後退させている。細川内閣に関しては、人々の期待を裏切る前に、早々と退陣したと言えるだろう。
 一方、内閣発足後時間の経過と共に支持率は徐々に低下することが多い。一定の支持率を維持することが内閣の生命線であり、多くの内閣はその末期に最低の支持率を示す。実際、宮澤、細川、橋本の三内閣が最低の支持率、村山・森両内閣が最低支持率をわずかに上回る支持率と共に退陣している。従って、内閣支持率をグラフにすると、基本的に右下がりになる。この点、支持率の推移が右下がりではない海部、小渕両内閣は興味深い事例である。海部内閣の場合は、当初不支持率が比較的高かったのみならず、「わからない」の率も高かった。これは海部が派閥の領袖ではなく、首相になる政治家としては目立たない存在であったからだと思われるが、時間の経過と共に徐々に支持率を上昇させている。 フランスの首相支持率に関しては、首相が大統領と比較して無名であるが故に、当初の支持率は低いものの、知名度が高まるにつれて支持率も上昇することが指摘されているが(Lewis-Beck 1980)、おそらく同様の力学が働いたのだろう。それに対して、小渕内閣は当初低い支持率から出発しながら支持率を徐々に上昇させている。「わからない」の率は小渕首相の在任期間中特に目立った変化を示していない。その意味では、小渕内閣は不支持が支持へと変化していった希有な例である。何故人々の評価が好意的に変化したかは推測の域を出ないが、後述の経済動向が大きく影響したと思われる。
 なお、「わからない」(おそらく「どちらでもない」をも含む)の率も、多くの場合、内閣発足時に最高値を示し(海部、宮澤、細川、村山、橋本、森)、各内閣の末期において最低になる(宮澤、村山、橋本、森)。内閣の実績が時間の経過と共に明らかになるにつれて、判断に迷っていた人々も、徐々に独自の判断を行うようになるからであろう。すなわち、内閣発足時の世論調査では、期待に基づいた高い内閣支持率と、情報の不足から判断を留保する人々の多さを表す高率の「わからない」が併存する。しかし、一般的には首相・内閣の業績が明らかになるにつれ、期待に基づいた支持と、「わからない」とが、不支持へと徐々に変化していくのである。発足二ヶ月目にして「わからない」の率が最低を記録している小泉内閣はこの点で例外中の例外である。


表1


図1


 内閣支持率と関連する第二の要因は政党支持率である。衆議院の多数派により内閣が構成される以上、与党の支持率と、内閣の支持率との間に一定の関係があることは当然であろう。本稿では紙幅の制約で単純な分析に留めるが、自民党支持率と自民党から首相が出た内閣の支持率との相関係数を計算すると、海部(.70)、宮澤(.91)、橋本(.43)、小渕(.77)、森(.64)、小泉(.78)となり、かつ、全て統計的に有意である。これに対して、細川内閣と村山内閣の支持率は、それぞれ日本新党(.87)と、社会党(.48)の支持率と統計的に有意な相関を示す。次に、無党派層との関連を検討すると、宮澤(-.69)、橋本(-.58)、小泉内閣(-.33)は非政党支持率(定義は前掲拙稿を参照されたい)の増加に伴い支持率を下げている。 非政党支持率と他の内閣の支持率との相関係数も符号は総じて負であるが、統計的には有意ではない。ただし、相関係数は線形関係の強さを表す指標なので、影響の大きさの測定には不適切である。即ち相関係数の大きさを証拠として政党支持率の変動が内閣支持率の変化に大きな影響を与えているとは言えない。政党支持率は、短期的には大きな変動を示さないので、各内閣の支持率の全般的な水準を考える上では重要だが、より短期的な内閣支持率の変動を説明する要因とは想定しにくい。
 なお、付言すれば、内閣不支持率は基本的に内閣支持率と表裏の関係になるが、政党支持率との関係で言えば、支持率との正の相関が常に不支持率との負の相関を意味するわけではない。例えば、海部内閣支持率は社会党支持率と統計的に有意な負の相関(-.55)を示すが、海部内閣不支持率と社会党支持率との関係は確認できない(.02)。また、新進党および民主党の支持率は、橋本内閣支持率とも不支持率とも統計的に有意に関係していないのみならず、係数の値は新進党が.27と-.26、民主党が-.38と.38と逆の方向を示している。 以上の内閣と比較すると、小渕内閣以降の支持率・不支持率と政党支持率との関係は興味深い。自民党支持率が内閣支持率と正の相関(小渕内閣.77、森内閣.64、小泉内閣.78)、内閣不支持率とは負の相関を示し(-.68、-.64、-.72)、民主党支持率と内閣支持率とが負の相関(-.59、-.37、-.43)、内閣不支持率とは正の相関(.55、.52、.49)を示しおり、かつ、森内閣支持率・不支持率と民主党支持率との相関係数以外は、全て統計的に有意である。小渕内閣以降、政党への支持と内閣への支持・不支持とが、密接に連動するようになっているからではないかと思われる(Hiwatari 2005)。集計値の動向から個々人の心理を推察することの危険を承知で言えば、政党間の対立と内閣に対する評価が、人々の思考過程において明瞭に結びつきつつあるのではないだろうか。


 内閣支持に影響を与える第三の要因として、政治的事件・出来事がある。典型的には、内閣の改造および国政選挙の影響が例として考えられるが、三宅等の研究では、内閣改造および国政選挙による内閣支持率浮揚効果は統計的には確認されていない。自然災害への対応や外交問題など、首相の指導力が期待される分野の出来事も支持率に影響を与えるように思われる。例えば、村山内閣は阪神・淡路大震災(1995年1月)での対応を批判されたが、翌月に支持率は2.9%下落し、不支持率は5.2%上昇している。森首相が「えひめ丸」と米潜水艦の衝突事故との際に見せた対応は森内閣の支持率を16.4%(2001年2月)から9.6%(同3月)へと更に低下させることになった。 また、印象論に過ぎないが、小泉首相は外交、とりわけ対北朝鮮外交を支持率維持のための政治的手段として効果的に利用しているように思われる。第1回目の訪朝(2002年9月)を挟んだ8月から10月の間に内閣支持率は14.9%上昇している。これらの政治的出来事の影響は、出来事や事件そのものの衝撃というよりは、首相が見せた判断・手腕に対する評価という性格が強い。その意味では、広く首相個人の個性・資質が持つ影響と内閣支持率との関係を考慮するべきであるが、データの制約から今日に至るまで学術的な検討の俎上にあがっていない。
 最後に、しかし非常に重要なのは、経済状況である。政権与党も当然経済運営についての全般的責任を問われるとはいえ、具体的な責任を問われるのはやはり内閣である。内閣支持率が政党支持率より振幅が大きい理由の一つは、内閣支持率が短期的な経済動向の影響をより強く受けるからだと思われる。
 ただし、経済動向と内閣支持率との関係を検討する際には、両者が時間の推移と共に一定の変化を示すことに注意を払わなければならない。即ち、景気には上昇局面、下降局面が存在するが、例えば内閣発足時が景気の山であり、その後下降局面に入ると、景気と内閣支持率とが無関係であっても、両者が同様の下降線をたどることが十分あり得る。また、90年代のように失業率が漸増傾向(89年12月の1.9%から2003年3・4月の5.8%まで)にあった場合、内閣支持率が通常の右下がりの推移を示すと、失業率と常に負の相関を示すことになってしまう。従って、経済動向が内閣支持率に与える影響を厳密に検討するには、時系列の重回帰分析を行う必要があるが、それは本稿の範囲を超えた課題である。


 さらに、客観的経済指標と内閣支持率との結びつきも単純ではない。何故ならば、人々は客観的数値のみを使って判断を下しているのではなく、彼ら・彼女らの評価はその内閣がおかれた経済状況・政治状況を前提とするからである。従って、経済の客観的状況が長期的に悪ければ人々がそれに併せて評価基準を変えることも考えられる。また、有権者が諸外国との経済状況との対比で自国の経済状況の判断を変えることは先行研究でも指摘されている(Powell and Whitten 1993)。 以上のことを考慮して、本稿では、客観的経済指標ではなく、時事世論調査から主観的経済状況に関する質問を利用して、経済動向が内閣支持率に与える影響を考察する。具体的には、三宅等に倣い、「暮らし向き」および「世間の景気」に関する質問のそれぞれについて、五つの選択肢のうち、肯定的な二つを合計した率と内閣支持率との関係を検討する(この二つの集計値の推移は既に図1に掲載してある)。
 表2は経済動向についての二種類の主観的評価と、各内閣支持率・不支持率との相関係数を示している。「暮らし向き」と「世間の景気」の質問に対する肯定的な回答率と内閣支持率との相関係数の符号は正であり統計的には有意であることが多いが、内閣毎に傾向が異なる点は注意すべきであろう。例えば、政治改革を重大懸案とした宮澤内閣に対する支持率・不支持率は、「世間の景気」についての評価との関係が皆無である。細川内閣は調査回数が少ないという点も考慮すべきだが、経済の主観的評価との関連が明瞭ではない。一方、村山内閣の支持率・不支持率は、「暮らし向き」についての肯定的評価との関連が非常に弱い。本稿の検討期間中で、経済動向と最も強い関連が見られるのは橋本・小渕・森の三内閣であり、支持率・不支持率がともに「暮らし向き」評価・「世間の景気」評価と密接に連動している。 内閣支持率・不支持率と「暮らし向き」評価との相関係数は橋本内閣が、.72、-.71、小渕内閣が.60、-.60、森内閣が.64、-.52である。「世間の景気」評価との相関係数は橋本内閣が.74、-.79、小渕内閣が.84、-.79、森内閣が.78、-.72である。橋本内閣は、財政再建・構造改革路線により結果として急速な景気後退を引き起こし、かつ機動的な財政出動に失敗したことによりその求心力を失った。最終的には98年参議院選挙での大敗により退陣を余儀なくされている。それに対して、小渕内閣は緊急経済対策として大規模な財政出動を行い、景気回復を最優先させ一定の成果をあげた。しかし、小渕の急死を受けて発足した森内閣は、大蔵省(当時)主導で経済政策的には緊縮財政路線に復帰している(大嶽、2003)。橋本内閣は、経済評価の低下とともに支持率を低下させ、小渕内閣は経済評価の上昇とともに支持率を上昇させている。 また、森内閣も主観的経済評価の悪化に伴い支持率を下げている。果たして政府がどの程度景気動向に影響力を持ち得るのかには議論が有ろうが、橋本・小渕・森の三内閣については、人々の主観的経済状況評価が内閣支持率・不支持率に相当の影響を与えているように思われる。なお、小泉内閣の場合は、相関係数の符号が橋本・小渕・森の三内閣と逆で、かつ統計的に有意である。内閣支持率の上昇・下降局面と景気の悪化・回復局面が偶然に一致し、かつ調査回数が多かったが故に統計的に有意になった可能性も否定できないが、憶測を逞しくすれば、小泉首相が構造改革を景気回復の前提であると喧伝したことにより、景気の悪化が逆に小泉内閣の支持率上昇に寄与したとも考えられる。


表2

3. 属性別支持率の検討

 本節では、性別と年齢の二つの社会的属性により内閣支持率がどの程度異なるのかを検討する。まず性別であるが、表3に各内閣における男女の支持率・不支持率の差を掲載している。正の数値は、男性の数値が女性の数値よりも大きいことを意味する。1989年8月から2004年12月を通算すると、男性が支持率で5.4%、不支持率で5.3%高い。その裏返しとして、女性は「わからない」と分類される比率が10.7%高いのである。最も支持率の男女差が大きかった内閣は宮澤内閣であり、平均で支持率に8.3%、不支持率に3.3%の差があった。注目すべきは男女の支持率差が顕著に小さい二つの内閣である。 一つは細川内閣で支持率差が3.1%で、女性の「わからない」の率は男性よりも7.4%多いだけであった。つまり、女性は細川内閣について、他の内閣に対してよりも、明確な意思を示したと言える。これよりもさらに支持率の男女差が小さく、かつ、女性の意思表示が明瞭なのが小泉内閣である。同内閣発足後最初の調査である2001年4月から2004年12月までの期間で男女の支持率差を取ると、男性が2.4%高いに過ぎない。しかも、田中外相更迭以前に限って言えば、男女間に実質的な支持率差は存在しない(-0.1)。「わからない」の比率の差も5.0%に過ぎず、1989年からの全期間を通算した際の差の半分以下である。
 では、小泉内閣に見られる男女別支持率差の縮小を如何に解釈するべきであろうか。従前であれば、一般的傾向として女性の支持率・不支持率が男性と比べて低く、「わからない」の率が高い原因は女性の政治的関心が低いことに求められた。その際、では何故女性の政治に対する関心が男性よりも低いかと言えば、女性には高齢者が多いこと、並びに、男性との対比では学歴が低いことが理由とされたように思われる。しかし、細川内閣と小泉内閣、とりわけ後者の支持率から判断するに、この男女間の反応の差は年齢・学歴と言った固定された属性から生ずる政治的関心の差によっては説明不可能であり、むしろ可変的な要因との関係を検討する必要がある。 では、如何なる説明が可能であろうか。憶測の域を出ないが、年齢・学歴などが同等の男女を比べても、通常女性は男性と比べると低い政治的関心しか持っていないのではないか。何故ならば、男女の就業機会の量的ならびに質的な差、およびテレビ・新聞報道に登場する政治家は圧倒的に男性が多い事実が、女性に政治を縁遠いものと感じさせている可能性があるからである。それが故に、内閣に対して、積極的な支持も不支持も表明しない「わからない」(あるいは「どちらでもない」)が多いのだと推察される。 従って、女性の国政に対する興味をかきたて、政治的関心の男女差を消滅させる出来事があれば、女性の「わからない」の比率が減少し、明確な意思表示が増加するのではないか。アメリカの研究では、上院議員選挙において女性候補者が存在する州では、政治に対する関心の男女差が大幅に縮小することが報告されている(Burns, et al. 2001)。田中氏の政治家・外相としての資質には様々な批判が有ったが(例えば、大嶽2003;早野2003)、少なくとも女性が国政の舞台で活躍しうることを示し、女性の政治的関心を高めたという意味では、その功績は大きいのではないだろうか。


表3


 年齢別の支持に関しては、表4に各内閣における年齢層別の平均支持率を示した。一見して明らかなことは、年齢が高いほど内閣を支持する傾向である。全期間を通算して、年齢層別の支持率は20歳代の29.2%から60歳代以上の48.7%まで、19.6%の差が存在する。平均値で検討する限り、この傾向からわずかに逸脱したのは小泉内閣だけであり、他の内閣は年齢層があがる毎に支持率も上昇する傾向を明瞭に示している。高齢層が何故若年層より内閣を支持する傾向にあるのかを集計値のみから検討することは難しいが、年齢が上がるにつれ高まる自民党の支持率が関係しているように思われる。
 各内閣別に検討すると、年齢別の支持率差が25%前後と特に大きかったのは海部内閣、橋本内閣、そして小渕内閣である。一方、細川内閣はその在任期間における20歳代と60歳代との支持率差が7.2%と際だって低い。小泉内閣は、2004年12月までの期間を取ってみると、20歳代と60歳代との差が14.1%だが、驚異的支持率を誇った2002年1月までに限って言えば、その差は5.8%に過ぎない。国民全体から高い支持率を得るためには、属性にかかわらず多様な人々から支持されている必要がある。その意味で細川内閣、および田中更迭以前の小泉内閣で年齢差が他の内閣と比べて著しく小さいのは偶然ではない。
 なお、年齢層毎に支持率に差があるだけではなく、各年齢層は、支持率と不支持率との差においても異なっている。すなわち、年齢層毎に支持率が異なるのは、「わからない」(「どちらでもない」)の比率の問題だけではなく、年齢が高いほど支持率が不支持率を上回り、若年層になるほど、不支持率が支持率を上回る傾向が存在するからである。1989年8月から2004年12月まで計185回の月次調査が行われているが、そのうち、60歳代で不支持率が支持率を上回ったのは、34回に過ぎず、この層で不支持が支持を上回る場合、内閣は極めて不人気であると考えられる。実際、60歳代において不支持率が支持率を上回ったのは宮澤内閣(14回)と森内閣(11回)とに集中している。 一方、20歳代で支持率が不支持率を上回ったのは185回中50回であり、その半数以上(28回)は小泉内閣に対するものである。残りのうち9回は細川内閣に対する調査であることを考えるならば、20歳代において内閣支持率が不支持率を上回るのは、非常に高い支持率を誇る内閣のみだと言える。とりわけ、小泉内閣は田中更迭以降も20歳代で35回中19回は支持率が不支持率を上回っており、他の内閣と比べると若年層においても支持率が不支持率を上回る傾向があることは特筆に値する。ただし、何故、若年層が一般的には内閣不支持を選ぶのかについては、若年層において無党派層(非政党支持者)が多いという単純な理由以外に説明が可能か検討の余地があろう。


表4

4. 結語

 以上、内閣支持率の全体的推移および性別・年齢別の傾向について簡単に検討してきた。最後に、以上の集計値における変動を手がかりとして、個人の心理過程において内閣支持が持つ意義を、政党支持と対比しつつ、考察してみたい。日常的な言葉遣いでは内閣支持も政党支持も特定の政治的対象に対する人々の「支持」を表していることになる。しかし、心理的側面に着目するのならば、政党に対する支持と内閣に対する支持とは随分と異なるのではないか。
 本稿でも繰り返し指摘しているが、集計値を眺める限り内閣に対する支持率は政党に対する支持率に比べて不安定である。例えば、内閣に対する支持率が急速に衰退する場合は、宮澤内閣や森内閣で観察されたように、一種の「雪崩現象」を起こすことがあり得る。これに対して、新政党や分裂直後の政党に対する支持は別として、自民党のように長期的に存在する政党の支持率が「雪崩現象」を示すことはまず考えられない。個人を単位とすると不安定な指標も集計値では安定する場合があることはよく知られている。しかし、集計値において不安定な指標は個人においても不安定なはずである。 従って、個人の内閣支持は政党支持と比べると不安定であると考えることができよう。集計値の動向から個人についての推論を行うことには論理的飛躍が伴うことを承知で言えば、集計値に現れている政党支持率の安定性は、人々の心理過程において政党が占める、相対的には安定した地位に依るのではないか。それが故に、政党は人々が様々な判断を下す際の準拠基準となりうるのである。しかしながら、内閣に対する支持・評価は、人々の思考過程において政党が持つような安定した地位を保持していないように思われる。
 では、内閣に対する支持・評価はどのような特徴を持つのであろうか。人々が内閣に対して支持を表明する際は、意思決定理論に言うベイズ的意思決定に近い方式で判断を下しているように思われる。有権者は、内閣発足時には、少ない情報と期待に基づきその内閣に対する評価の初期値を形成する。その後、政治動向の進展から、首相・内閣の力量を示す出来事がある度に、その新しい情報を蓄積された既存の情報に組み込んで評価を改訂する。内閣が発足して間もない時期は、政治的出来事による影響は大きいが、時間が一定程度経過し、人々の評価がより長い期間の業績から形成されている場合は、同じ情報の持つ衝撃は小さくなる。 従って、政情・政局が安定している場合、長期政権になる程支持率の振幅は小さくなっていくと予測される。その一方、過去から蓄積されてきた判断を覆すにたる、新しい種類の情報が提示されれば、人々は、その情報に基づき内閣に対する評価を大幅に改訂する。経済情勢をはじめとする客観的情勢の変化が首相・内閣の能力・手腕について新たな情報を提供することで、個人の内閣に対する支持は変化し、内閣支持率が政党支持率には見られない大きさの振幅を維持することになるのではないか。


 政党支持と内閣支持との違いを考える上で重要と思われるもう一つの論点は、首相個人に対する人々の評価・判断が内閣に対する支持に与える影響の大きさである。首相に対する評価は当然、首相を輩出している政党に対する支持にも影響を与えると思われるが、内閣に対する支持に与える影響の比ではないであろう。理念はともかくとして、実際の政党は様々な考えや政策的立場を持った人々からなる。特に自民党のように歴史があり、かつ雑多な政治家を包含している場合、人によって抱く印象は相当異なりうる。ある人は自民党のことを「政財官癒着構造」、「政治腐敗」の権化と思うかも知れないが、別の人は「安定した経済運営」、「安定した日米関係」を想起するかも知れない。 また、森首相は支持しないが、次の総理も自民党から出て欲しいと願うことも可能である。従って、一つの情報あるいは一人の人間についての評価が政党についての印象・判断を大幅に塗り替えることは、自民党のように歴史が長い政党であればあるほど難しい。これに対して、内閣に対する判断は、首相個人に対する評価・判断によって大きく左右されると推察される。その意味では、人々が首相に対して如何なる印象を抱き、その印象を如何に内閣に対する支持へと変換しているかを検討することが、政党支持率と異なる内閣支持率独特の力学を明らかにするために必要であろう。
 アメリカ大統領に対する支持の研究では、有権者が大統領の資質・個性について少数の特性-指導力、人柄等-についての印象に基づき評価を行っていることがわかっている(Kinder1986;Miller,etal.1986)。今後、日本の内閣支持の研究においても、首相個人の資質・人柄、経済状況等、複数の要因が如何に内閣に対する支持を規定しているのかを明らかにする必要があるだろう。 また、内閣と与党とが不即不離ではない我が国の議院内閣制の実態を考えるならば、人々が与党と内閣という異なる政治的対象を如何に認識し、その相互連関を思考過程において如何に形成しているか(あるいはその連関の欠如)は、興味深い研究課題である。その意味で、内閣支持および内閣支持率の研究は我が国の世論研究において今後の発展が期待される分野である。月次の内閣支持を40数年に渡って計測している時事世論調査は非常に貴重な分析素材を提供しているように思われる。

* 本稿および拙稿「時事通信社世論調査に見る政党支持率の推移 1989-2004」(No.564に掲載)は平成16年度科学研究費補助金若手研究(B)「実験的世論調査による政治信頼質問の改善」の成果の一部である。


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時事世論調査の概要
 調査開始、1960年6月より毎月実施
        (2004年9月で通算541回)
 ・地 域:全国
 ・対 象:20才以上の男女個人
 ・方 法:個別面接聴取法
 ・サンプル:2000(1971年3月までは1200サンプル)
 ・抽出方法:層化2段無作為抽出法