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■「中央調査報(No.653)」より

 ■ 東京大学社会科学研究所『労働審判制度利用者調査』の結果から

佐藤 岩夫(東京大学社会科学研究所・教授)


 東京大学社会科学研究所では、2010年7月から11月にかけて、最高裁判所および全国の裁判所の協力を得て、労働審判制度の利用者に対するアンケート調査を実施し、2011年10月末にその報告書を刊行した(東京大学社会科学研究所編〔2011〕)。本調査が企画された背景については、本誌でもすでに紹介する機会があったが(本誌636号)、本稿は、調査が終了したことをうけて、あらためて本調査の意義および主要な結果の一端を紹介するものである。

1.調査の概要
 雇用をめぐるトラブルは、市民が日常生活で遭遇するもっとも重要なトラブルの1つである。これについては、企業内、行政、司法のそれぞれが紛争処理の仕組みを用意しているが、このうち労働紛争解決の最後のよりどころである司法(裁判所)による解決については、従来、2つの問題が指摘されてきた。
 第1は、裁判所へのアクセスの困難である。訴訟には時間と費用がかかるため、とりわけ労働者にとっては訴訟を利用しにくいことが指摘されてきた。
 第2は、訴訟による労働紛争の解決の難しさである。労働紛争は、労働者と使用者との間の厳しい対立を伴うことが多く、また、その解決には労働関係に固有の専門的な知識・経験も必要であることから、通常の訴訟では対応しにくい面がある。実際、日弁連法務研究財団が2006年に実施した民事訴訟制度利用者調査(民事訴訟制度研究会編〔2007〕参照)の結果によると、さまざまなタイプの民事訴訟のなかで、労働関係の訴訟は、訴訟の結果に対する当事者の満足度がもっとも低いことが明らかになっている(本誌636号図2参照)。
 このような状況の下で2006年4月に裁判所による労働紛争の新しい解決手続として導入されたのが、労働審判制度である。この制度は個別労働紛争について「紛争の実情に即した迅速、適正かつ実効的な解決」を図ることを目的としており(労働審判法1条)、手続上、(1)原則として3回以内の期日での審理の終結、(2)労働関係に関する専門的な知識経験を有する者として使用者団体および労働者団体のそれぞれから推薦される労働審判員(2名)の関与、(3)審判機能と調停機能の結合、(4)訴訟手続との円滑な連携など、随所に新しい試みが取り入れられている。迅速かつ労働関係の専門的な視点を組み込んだ手続を新たに創設することによって、これまで裁判所を利用することが難しかった労働紛争の当事者の裁判所へのアクセスを拡大し、また、当事者の満足度がより高い紛争解決を実現することが期待されたのである。
 では、労働審判制度の実際の利用者は、この制度をどのように評価しているのであろうか。この点を学術的な立場から体系的・系統的に明らかにすることが本調査の目的である。
 調査は、2010年7月12日から同11月11日までの期間に、全国の裁判所の労働審判手続で調停が成立しまたは労働審判の口頭告知が行われる期日において、当該期日に出頭した当事者に対して行われた。対象者は1,782人(労働者側、使用者側各891人)であった。
 労働審判手続は裁判所の非公開の手続であることから、当事者の意思の確認は通常の社会調査にもまして慎重な手順で行なう必要があった。そこで本調査では、裁判所で直ちに調査票を配布するのではなく、上記の調査対象者に対して、裁判所を通じて調査の説明書および調査協力意思確認用のハガキを交付し、同ハガキにより調査への協力意思を示すとともに調査票送付先住所を開示した当事者に対してのみ、調査会社を通じて調査票を郵送するという方法をとった。調査票を返送するかどうかはもちろん当事者の任意であるため、本調査がとった方法は、調査協力意思確認用ハガキの返送および調査票の返送の2段階で当事者の同意を得る方法ということになる。
 以上の結果、調査票の最終的な回収期限である2011年2月1日までに、全部で494票の有効調査票が回収された。回収率(調査対象者数1,782人に対する回収された有効調査票数494票の比率)は27.7%となる。有効調査票494票の内訳を労働者側、使用者側の別でみると、労働者側が309票、使用者側が185票で、労働者側、使用者側それぞれの回収率(各891人に対する有効調査票数の比率)は34.7%、20.8%となる。

2.調査から明らかになった制度の評価および課題
 調査データの本格的な分析はこれからであるが、調査結果からは、労働審判制度を利用した当事者が、この制度について一般的に肯定的な評価を持っていることが明らかとなった。
 とりわけ手続の迅速性への評価は高い。労働審判手続を終えて、かかった時間をどのように思ったのかについて、46.4%が「短い」と回答し、「どちらともいえない」(25.7%)、「長い」(27.5%)の回答を上回っている。また、労働審判手続が始まった時点で、手続が終わるまでに要する時間を予想できたかどうかについて、回答者の67.6%が「予想がついていた」と回答し、「まったく予想がつかなかった」の回答(30.4%)を大きく上回っている。労働審判手続は、原則として3回以内の期日で終結することとされており、このことが、当事者の時間の予測のしやすさにつながっている。
 また、労働審判手続の進行や経過についても、回答者の評価は概ね肯定的である(表1)。とくに、「手続は迅速に進められた」「使われていた言葉は分かりやすかった」では、「そう思う」の肯定的な評価が7割を超えている。そのほかの項目でも肯定的回答が6割あるいは5割に達するものが多く、労働審判手続の進行や経過についての当事者の評価は全体として良好である1

表1


 次に、図1は、いくつかの項目について、本調査の回答と、上述の2006年民事訴訟制度利用者調査における労働事件の当事者の回答とを比較したものである。数値は、費用の低廉性(「かかった費用の総額はあなたにとって高いものでしたか」の問に対して「非常に高い」=1~「非常に安い」=5)、時間の迅速性(「かかった時間をどのように思いますか」の問に対して「非常に長い」=1~「非常に短い」=5)、審理の充実性(「充実した審理が行われたと思うか」の問に対して「まったくそう思わない」=1~「強くそう思う」=5)、裁判官(労働審判官)・労働審判員および手続の結果への満足(「満足していますか」の問に対して「まったく満足していない」=1~「とても満足している」=5)の各項目に対する回答の平均値で、数値が大きいほど肯定的な評価を示す2


図1


 この表が示すように、伝統的な労働訴訟の当事者の回答と比較して、労働審判の当事者の回答では、費用の低廉性、時間の迅速性、審理の充実性、裁判官(労働審判官)への満足、手続の結果への満足のいずれにおいても、より肯定的な回答となっている。また、労働審判手続に関与する2人の労働審判員に対する当事者の評価も、労働審判官への満足とほぼ同じ高さの満足を得ている。
 迅速かつ労働関係の専門的な視点を組み込んだ労働審判制度について、この制度を実際に利用した当事者の評価は、全般的に肯定的であるといえる。労働者側の回答と使用者側の回答とを比較すると、労働者側でより肯定的な回答が多かったことも付け加えておこう。
 もっとも、本調査の結果からは、労働審判制度が抱える課題も明らかになった。その1つは弁護士費用の負担である。審理の期日が原則として3回以内とされている労働審判手続では、手続の早期の段階から十分な主張立証を行う必要があり、そのため、当事者本人が手続を遂行するのではなく、弁護士が代理人になることが望ましいとされている。実際、今回の調査でも、8割以上(84.8%)の当事者が弁護士に依頼している。しかし、このことに関連して、弁護士を依頼したと回答した当事者の約半数(49.5%)は弁護士費用が「高い」と回答しており、とくに労働者にとっては大きな負担となっている。
 また、労働者を「正規の社員・従業員」と「非正規の社員・従業員(パート・アルバイト・契約社員・嘱託・派遣社員等)」に分けて比較してみると、「正規」では84.7%が弁護士を依頼しているのに対して、「非正規」では70.9%と差がある。この調査結果からは、非正規雇用の場合に弁護士を依頼しにくくなっている可能性を読み取ることができる。従来の訴訟に比べれば、労働審判手続に要する費用は全体として低廉と意識されているとはいえ(前掲図1参照)、労働審判制度をよりいっそう利用しやくするためには、弁護士費用の負担を軽減する政策的対応(法律扶助制度の充実、弁護士だけでなく組合メンバーが代理人になることを認める許可代理制度の柔軟な運用等)が喫緊の課題となっている。

3.労働関係に関する専門性:労働審判員の評価
 労働紛争の適切な解決のためには、労働関係に固有の専門的な知識・経験が必要であり、このため、労働審判制度では、裁判官(労働審判官)のほかに、労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員2名が手続に関与するものとされた。これら労働審判員が当事者の目から見てどのように評価されているかは、本調査が明らかにすることを目指した重要なポイントの1つである。この点について本調査の結果は興味深い知見をもたらした。
 図2は、労働審判官(裁判官)および労働審判員に対する評価のうち、法律説明(「その審判官/審判員は、法律上の問題点をわかりやすく説明してくれた」)および労働関係理解(「その審判官/審判員は、法律以外のことでも、労働関係のことをよく分かっていた」)の質問に対する回答(「まったくそう思わない」=1~「強くそう思う」=5)の平均値を、裁判所のタイプごとに計算したものである。裁判所のタイプは、調査の前年である2009年の各地裁の労働審判新受件数を基準に、(1)労働事件の専門部が設けられており労働審判手続事件の新受件数も非常に多い「専門部設置庁」(東京地裁本庁および大阪地裁の2庁)、(2)労働審判手続の事件数が比較的多い「大規模庁」(全11庁)、(3)中程度の「中規模庁」(全13庁)、(4)事件数が少ない「小規模庁」(全24庁)の4つに分類した。


図2


 図2が示す第1のポイントは、「法律説明」については、いずれのタイプの裁判所でも労働審判官(裁判官)の評価が高いことである。当然といえば当然ではあるが、労働審判制度の設計上も、法律上の問題点の整理・説明は裁判官である労働審判官の役割、これに対して労働関係の実情や慣行に関する専門性を活かすことは労働審判員の役割とされているので、「法律説明」について審判官の評価が高いことは制度設計の原則にも適っている。
 興味深いのは、「労働関係理解」についての当事者の評価である。まず、専門部設置庁についてみると、「法律説明」だけでなく「労働関係理解」についても、労働審判官の評価が労働審判員以上に高い。専門部設置庁は労働事件の専門部が設けられており、実際にも大量の労働事件が処理されている。そのような日常の実務の積み重ねの中で、裁判官が、法的な専門性だけでなく、労働関係の実情や慣行の理解の点でも専門性を蓄積している状況がうかがわれる。
 これに対して、中規模庁・小規模庁では、「労働関係理解」についての労働審判官の評価はそれほど高くはなく、労働審判員の評価が高い。取り扱う労働事件の数がそれほど多いとはいえない比較的規模の小さな裁判所では、裁判官が労働関係の実情や慣行に関する知識・経験を蓄積する機会はあまりなく、まさに、労働審判員が、その弱点を補っていることが読み取れる。
 以上の結果からは、労働紛争の適切な解決に向けて裁判所が専門性を高める2つの道筋が示されている。1つは、大量の労働事件が持ち込まれる大規模な裁判所に労働事件の専門部を設置することである。ここでは、裁判官は、法的な専門性だけでなく、労働関係の実情や慣行に関する専門性も蓄積する。もう1つは、それほど多くの労働事件が持ち込まれることはなく、裁判官自身が労働関係に関する専門性を蓄積するまでには至らない規模の裁判所で、労働関係に関する知識経験を持つ労働審判員を手続に関与させることである。本調査の結果は、労働審判員の関与がとくに力を発揮する場面を具体的に明らかにしている。

4.本調査の意義
 以上、本稿では、今回行った労働審判制度利用者調査の結果のうち、いくつかの興味深い知見の紹介を試みた。最後に、本調査の学術的・方法的意義についても一言触れて結びとしたい。
 裁判所の非公開の手続についての大規模かつ信頼できる学術調査は、日本ではこれまで先例がほとんどなく、今回の調査は、調査方法についても手探りの状態で検討を進める必要があった。とりわけ裁判所の非公開の手続では、当事者の調査協力意思の確認には最大限慎重な注意を払う必要があることから、本調査は、2段階で当事者の同意を得る慎重かつ複雑な方法となったことは上述の通りである。
 調査実施前には、このような複雑な方法によってどれだけ多くの当事者の協力が得られるか不安もあったが、結果として、最終的に494票の有効調査票を回収することができ、回収率も27.7%を得られたことは、本調査のとった方法が一定程度有効な方法であったことを示している。その意味で、本調査は、回答結果の重要性はもちろんであるが、裁判所の非公開の手続についての新しい調査方法を開拓し、この領域での今後の調査研究に道筋をつけた点でも重要な学術的貢献をはたせたと考えている。裁判所の紛争処理手続については、訴訟および労働審判以外にも、民事調停、家事調停、家事審判など学術的な解明が待たれる多くの分野がある。本調査の経験が、今後この分野での調査研究の発展にとって参考となれば幸いである。


脚注
1 唯一、「そう思う」の肯定的回答が非常に低かったのが「相手側の主張・立証について十分に理解できた」である。調査グループとしては、労働審判手続の場で相手の主張や証拠の内容を明瞭に認識できたかどうかを確認する意図で用意した質問であったが、回答者は、相手の主張や証拠に正当な根拠があるかどうかの質問と受け取り、相手の主張には「根拠がない」「納得できない」の趣旨で「そう思わない」と回答した可能性がある。
2 なお、労働審判員は労働審判制度に固有の制度であり、2006年民事訴訟調査には該当の質問はない。労働審判手続に参加する2人の労働審判員を本調査の調査票では仮に労働審判員Aおよび労働審判員Bと名づけた。

参考文献
 ・民事訴訟制度研究会編(2007)『2006年民事訴訟利用者調査(JLF叢書Vol.13)』商事法務。
 ・佐藤岩夫(2010)「労働審判利用者調査のねらい」中央調査報636号、1-5頁。
 ・東京大学社会科学研究所編(2011)『労働審判制度についての意識調査基本報告書』東京大学社会科学研究所(なお、同報告者のダイジェスト版として、佐藤岩夫「『労働審判制度利用者調査』の概要」ジュリスト1435号〔2011年〕106-114頁がある)。